平成の元号はやがて終わるが、人々に、平成という元号の意味を聞いたら、多くが「平和に成る」と答えたのだと思う。
誰かが、『「平和に成る」ではなく、「平和を成す」でなければならない』と言っていたが、さあ、どうだろう?
「誰かが平和にしてくれるという、受け身、人任せでは駄目だ」と言いたいのだろうが、平和を成そうとすると争乱を起こすのが人間である。
昔から、丸くしようとすればするほど丸から離れると言われる様なものである。
ケネディーが大統領就任演説で言った「アメリカが諸君のために何をするかではなく、諸君がアメリカのために何が出来るかを考えよ」と言ったのは、それとは全く違う。
「まず与えよ、そうすれば与えられる」というキリスト教精神なのである。
ただし、アメリカを愛していることが前提だがね。

「成」は、自動詞で「なる」、他動詞で「なす」という意味であるが、「成功」と言った場合、「功をなす」ということになるような気もするが「功がなる」とも取れる。
そして、「功がなる」の方が、「功をなす」より功のスケールが大きいのである。
なぜなら、「功がなる」は、「自然になる」「なるべくしてなる」、あるいは、「神がなす」であり、人間が無理矢理にやったのではないからである。

イエスは奇跡を起こす時、「成れ」と言ったのであり、「私が成す」とは言わなかった。
「成す」のは神である。
イエスが「成れ」と言ったのは、自分が神の権威を持つことを示すためだった。
彼の心には「成った」というイメージしかないのであり、「成った」と思うから成るのである。
だが、イエスは自分が特別だとも言わなかった。
だからイエスは「願いは叶ったと思えば叶う」と言ったのである。
暗示療法で有名なフランスのエミール・クーエは、身体の不調を治したい時には、
「治る、治る、治る、・・・・、治った」
と唱えるよう教えている。
これは、万能呪文である。
成るというのも万能語である。
よって、
「成る、成る、成る、・・・・、成った」
で全て叶う。
身体の痛みや不快感、あるいは、日常のトラブルを、この呪文、あるいは、暗示語で解決する練習をすれば、これで大きなことも出来るようになる。
心が硬い人は、最初は、痛みや痒みを、これでうまく除くことが出来ないかもしれない。
しかし、練習次第でうまくいく。
そうすれば、後は、成功する一方なのである。









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