最近、矢追純一さんと西村博之さんの本を読んで面白いと思ったが、最初、この2人は、随分違う人だと思った。しかし、数日経って考えると、案外似てると思う。
この2人に共通していることは、「苦労せずに、何でもうまくいく」ことだろう。
もちろん、苦労しない成功者などいないので、まあ、余計な苦労はしていないとでも言えば良いのだろうが、面倒なので、「苦労せずに成功している」と言っておく。
矢追さんは、高校生の時、妹2人を養っていたとか、さらに子供の時は、満州で、一緒に泥棒したおじさんが、目の前で頭を弾丸で吹っ飛ばされたとかいう話がいっぱいあって、すごい苦労したように感じるが、本人は、全然苦労したと思っていないらしい。
西村さんは、苦労しないよう頭を使っているといったところか。
矢追さんは、考えるということをほとんどしないと言うが、西村さんは、頭を使わないやつを馬鹿にしているのだと思う。
2人共、中央大学を卒業してるが、歳は40歳違う。
2人のお金の使い方を見ると面白い。
西村さんは、とにかくお金を使いたがらず、服も買わず、百円の缶ジュースも勿体なくて買わないのだそうだ。
一方、矢追さんは、自分の収入、支出、預金額など一切知らず、土地でも美術品でも、欲しいと思ったら即座に買うが、銀行から督促が来ないので、お金は足りていると分かるのだそうだ。しかし、自分の財布の中身は知らないので、スーパーでお金が足りずに返品したことならあるらしい。
しかし、西村さんだって、必要なものなら高くても買うだろうし(金持ちだし)、矢追さんだって、無駄なお金は使わないだろう(金持ちだけど)。
身近で見たら、案外、同じようなことをしてそうな気がする。
そして、頭を使わないという矢追さんだが、考え方は実に論理的で、西村さんと似ているようにも思えるのだ。
ちなみに、2人とも、自分は頭は良くないと言う。
まあ、そんなことはないと思うが、自分のちっぽけな思考力に頼っていないところは、やっぱり同じなのだろう。

そして、2人に共通していることは「根拠のない自信」を持っていることだ。
西村さんは、楽しく生きる上で、それは絶対必要だと言う。
一方、矢追さんは直接そう言ってはいないかもしれない。しかし、大学受験の時も、高校に全く行かず受験勉強もしなかったに関わらず、特に当時は難関だった中央大学法学部を受験した時は、根拠なく「合格」と決めて、受験が終わったら、結果など気にせず旅行に行き、旅行から帰ってきたら予定通り合格通知が来ていたというが、矢追さんは万事がこの通りなのだ。
その根拠のない自信をどうやって得たかは、育ちが全く違う2人は相当違っており、我々は、どっちか似た方から、あるいは、それぞれの気に入る部分だけ参考にすれば、得るところが大きいと思う。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』の著者、ベアード.T.スポールディングは、インドに住んでいた4歳の時、大学予備校の教師に、根拠のない自信を教わっている。
予備校に連れてかれたベアードが、アルファベットを見せられ、「解らない」と言うと、教師は、「そんなことではいけない。チャンと解っているという態度でいなさい」と言ったようだ。そのおかげで、彼は、14歳で名門カルカッタ大学を卒業出来たと言う。
「絶対、大丈夫だ」という万能呪文を唱え、「チャンと解っている」という態度を取ったり、難しい問題や危機に対しても、自信たっぷりで挑むと良いだろう。
中村天風と植芝盛平の高弟だった佐々木将人は、「アジマリカンを唱えると幸福になれる」と言い、その理由なんかどうでも良いと言うが、これも、根拠のない自信である。









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