世の中、両極端な話が多いし、ますます多くなってきた。
例えば、同性愛の話となると、絶対肯定か絶対否定でないと認められないという感じじゃないか?
私個人は同性愛者の気が知れないが、かといって、好きなものは好きで仕方がないのだから、「まあ、いいんじゃないか」という立場になるが、肯定か否定かの二者択一しかないような雰囲気だ。
学歴なんてのも、高学歴は絶対偉いという立場か、学歴なんか一切不要の立場かのどちからに行きたがる。
エジソンが学歴絶対不要論者だったのは、小学校を中退した時の悪い思い出の影響があり、その点、私も似た理由で学歴不要の立場だったが、考えてみれば、「大学にも良いところだってあるのだから、行きたければ行けばいいんじゃない」と考えれば良いことが分かる。
「時代が変わる」ことに関しても、「昔は絶対良かった」派と、「新しいほど高級。過去は化石」派に分かれてしまう。
しかし、鏡音リン・レン10周年記念ソング『劣等上等』で、「パッパッパ 変わる時代 悪いことばかりじゃないでしょう」歌った通りである(さすが、れをるさんの作詞)。

そして、「目標設定」だ。
「目標は詳細・具体的に。車が欲しければ、車種・色を明確に、お金が欲しいなら金額をはっきりさせよ」と言う者がいれば、「人生に目的は不要です。全てはなりゆきじゃ」という両極端があり、どっちもファンが多い。
あるいは、「一切の欲望を捨てよ」というのと、「欲望を燃やせ」と、反対のことをいう大物どうしもいる。
これも、車が欲しいなら、せいぜい「格好良いスポーツカー」程度にした方が、それが得られると信じやすいし、信じたら、後はなりゆきにまかせるしかない。
『灼眼のシャナ』で、強大な力を持つベルペオールという敵が口癖のように「ままならぬ、ままならぬ」と言っていたが、あれほどの大物でも、世の中、ままならぬのだ。
だが、彼女は「ままならぬ」を楽しんでいたはずで、それだからこそ、思った通りでなくても、まあ楽しい結果になるのだ。
あの子が好きだが、こっちの子も可愛い。まあ、いずれどっちかが俺の横で寝てるだろうと思っていると、全く違う、もっと可愛い子がそうなってるもんだ。

願いがそのまま叶うことは、まずない。しかし、だいたいの雰囲気では叶うものだし、そうであることを肯定すれば、大抵は望み以上のものが得られる。
自分の想いに固執すれば、全く何も得られないか、僅かしか得られない。
「この世に偶然はない。全ては必然」と言ったところで、何が必然かは、後で分かるだけで、人間にとっては全て偶然だ。
どんな大物だって、偶然そうなっただけなのだ。

だが、「いい加減」を薦めているのではなく、「良い加減」を薦めているのである。
「まあ」は良いが「まあまあ」は駄目なのである。
だが、時には、「いい加減」で良いし、「まあまあ」も必要だろう。
「努力至上主義」と「努力不要主義」も両極端だが、全くどうでも良いことである。
凄く努力するようコントロールされているロボットが「私、努力至上主義」と言ったら可笑しいのと同じである。
だが、その可笑しいことを言うのが人間である。
せっかく芸術的な超高級ロボットなのに台なしである。









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