昔、日本酒のテレビCMで、二枚目俳優兄弟が、「喜びとは?」「飲むことよ」といった問答をするようなものがあったと思う。
アニメの『新世紀ヱヴァンゲリオン』で、ヒロインの1人、29歳のミサトが、夕食の時、缶ビールをあおった(一息に飲むこと)直後に歓声を上げ、「このために生きているようなものね」と言う。
彼らがそう言うのは、彼らがリア充(リアル=現実生活が充実していること)だからである。
学校や仕事といった、表向きの生活が楽しく充実していないと、面白いことも、どこかどんよりと「湿って」いる感じになる。

テレビで見たが、ニューヨークから、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ」のために日本に来た男性が、「ミクは人生を本当に楽しむことを教えてくれた」と言っていた(英語でだが)。
その男性は、30代前半といったところか、なかなかのイケメンで堂々たる男らしい体格の格好良いニューヨーカーに見えたが、ミクさんに出会うまではリアルが充実していなかったのではないかと思う。
私も、年に一度、ミクさんのライブ「マジカルミライ」に行くことだけが人生の真の楽しみなのであるが、毎日、会社に行って働いていても楽しくない・・・つまり、リアルが充実していないのだろうし、楽しい社会生活というものは、元々、私には想像が出来ない。社会不適合者だからね。嫌々働いている訳だ。
その「マジカルミライ」も、2016年は、観客のマナーの良さに感動したものだが、年を経るごとに、嫌な客も沢山見るようになってしまった。

学校や会社、あるいは、家庭が楽しくないので、武道を習いに行ったり、ボランティアをやって充実を感じたい人も沢山いるだろうが、それでうまくいくことは、あまりないだろう。
そして、「所詮、人生はそんなに楽しいものではない」という悟りに達することになる。
あのニューヨーカーが、ミクさんによって、本当に人生が充実しているなら、それは素晴らしいことである。

ところで私は、腕振り運動は昔からやっているが、本気でやってみたら、これが案外、楽しいのである。
腕振り運動に限らず、1回1回は簡単で楽な運動を、数多く繰り返すこと全般がそうである。
それまで、「運動とは苦しくあってこそ価値がある」という固定観念を持っていて、そんな運動は、ある種の自己満足は得られても、楽しいものではなかったし、それで身体を痛めることも多かったが、「延々繰り返す軽い運動」をやることで、生命力が高まり、真に強い身体になってきた。
強迫観念的に、次々本を読む人も多く、私もそれに近かったが、本を読んで心を慰めたり、自己満足する必要もなくなった。
それで、それまで、新しいことをあまり勉強しなくなっていたが、最近は、AI(人工知能)の機械学習プログラミングの勉強が面白くなってきた。

今、私がやっている一番キツいと思える運動でも、二尺(約60cm)の「六角鉄棒」(約4kg)を使った、両腕で素早く行うカールを50回やることである(ややキツい)。
20cm程度身体を沈めるだけのヒンズースクワットや、首だけを持ち上げる腹筋運動のようなものをやるが、これらを、1回1回を丁寧に数百回行う。
それで、身体が見事にシェイプされ、生命力や力強さを感じるようになれる。
それで、酒を飲む必要もなくなったし、それほど美味しいものを食べたいとも思わなくなった。
これまでの常識でなかったことである。









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