昨日、「成功するために一番大切なことは、こだわりがなく、ゆったりとしていること」と書き、それは間違いのないことだと思うが、そう言うと、「のほほんとする」馬鹿が必ずいるのである。
「人混みの中でも、こだわらずにマイペースでスマホをいじって、全く気にせず、ゆったりしている」
「ニートだが、親が食べさせてくれるので、あせらずのんびり毎日ゲーム三昧」
「何のスキルもないが、とりあえず勤め先があるので、毎日、ゆったりデスクを温めて過ごしている」
といった連中は、いくらでもいそうだ。
しかし、こういった類の人間が成功するはずがない。
こだわらず鷹揚であるのと、のほほんとして怠惰なことは全く違う。
そのことを、どう言えば良いのだろう。
ゲーテの『ファウスト』で神様が言ったように、人間とは怠けたがるものなのであるから、そこらははっきりさせねばならない。
それなら、やはり、私がよく取り上げるスーフィー(イスラム教神秘主義)の格言らしいが、
「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
ということになるのだと思う。
神様を信用し、普段はなりゆきにまかせて大きく構えていれば良いが、ラクダをつなぐ程度のことまで神様にやらせようとしてはならない。
ただ毎日、会社に来て、なんとかその日をやり過ごしていれば給料が出るのだから、あせらずのんびりしていたら、あっという間に歳を取って、何も出来ないおじさん、おばさんになってしまう。
へとへとになってしまうほどのことではないが、決して怠ってはならないことがあるはずなのである。
親鸞は、「薬があるからといって毒を好むな」と言った。
念仏は、悪人を救うためのものであるというから、わざと悪い事をして極楽往生しようと思う馬鹿が本当にいると聴いて親鸞が言ったのがこれである。
確かに、親鸞は、どんな悪も、「念仏を唱える者を救う」という阿弥陀如来の誓願を妨げることはないし、善いことをしようなどと思う必要はない・・・なぜなら、念仏以上の善はないのだからと言ったが、だからといって、わざわざ悪いことをすることを「薬があるから毒を飲んでも構わない」というようなものだと言ったのである。
好きな人がいるなら、神様にまかせておけば、相手が本当に素晴らしい人なら、ちゃんと結び付けてくれる。
しかし、ある程度の身だしなみを整え、礼儀正しくする程度のことはした方が良いのである。
神様がとりなしてくれるから、あるいは、カップルになれる薬があるからといって、だらしない格好をしたり、自分を磨くことを全く怠っては、それ自体が駄目というのではないかもしれないが、それでは、神を敬う心がなく、世界や人生を軽んじることになるのだから、自分も敬われたり、丁重に扱われるすることはない。
つまり、怠惰な者は、自分で自分を軽んじ、粗雑に扱っているのである。
本質では、自分が神であることを忘れず、多少は煩悩にまみれてしまうとしても、一線は守らねばならないのである。
「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
「薬があるからといって毒を好むな」
真の大物は、それを忘れないのである。
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「人混みの中でも、こだわらずにマイペースでスマホをいじって、全く気にせず、ゆったりしている」
「ニートだが、親が食べさせてくれるので、あせらずのんびり毎日ゲーム三昧」
「何のスキルもないが、とりあえず勤め先があるので、毎日、ゆったりデスクを温めて過ごしている」
といった連中は、いくらでもいそうだ。
しかし、こういった類の人間が成功するはずがない。
こだわらず鷹揚であるのと、のほほんとして怠惰なことは全く違う。
そのことを、どう言えば良いのだろう。
ゲーテの『ファウスト』で神様が言ったように、人間とは怠けたがるものなのであるから、そこらははっきりさせねばならない。
それなら、やはり、私がよく取り上げるスーフィー(イスラム教神秘主義)の格言らしいが、
「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
ということになるのだと思う。
神様を信用し、普段はなりゆきにまかせて大きく構えていれば良いが、ラクダをつなぐ程度のことまで神様にやらせようとしてはならない。
ただ毎日、会社に来て、なんとかその日をやり過ごしていれば給料が出るのだから、あせらずのんびりしていたら、あっという間に歳を取って、何も出来ないおじさん、おばさんになってしまう。
へとへとになってしまうほどのことではないが、決して怠ってはならないことがあるはずなのである。
親鸞は、「薬があるからといって毒を好むな」と言った。
念仏は、悪人を救うためのものであるというから、わざと悪い事をして極楽往生しようと思う馬鹿が本当にいると聴いて親鸞が言ったのがこれである。
確かに、親鸞は、どんな悪も、「念仏を唱える者を救う」という阿弥陀如来の誓願を妨げることはないし、善いことをしようなどと思う必要はない・・・なぜなら、念仏以上の善はないのだからと言ったが、だからといって、わざわざ悪いことをすることを「薬があるから毒を飲んでも構わない」というようなものだと言ったのである。
好きな人がいるなら、神様にまかせておけば、相手が本当に素晴らしい人なら、ちゃんと結び付けてくれる。
しかし、ある程度の身だしなみを整え、礼儀正しくする程度のことはした方が良いのである。
神様がとりなしてくれるから、あるいは、カップルになれる薬があるからといって、だらしない格好をしたり、自分を磨くことを全く怠っては、それ自体が駄目というのではないかもしれないが、それでは、神を敬う心がなく、世界や人生を軽んじることになるのだから、自分も敬われたり、丁重に扱われるすることはない。
つまり、怠惰な者は、自分で自分を軽んじ、粗雑に扱っているのである。
本質では、自分が神であることを忘れず、多少は煩悩にまみれてしまうとしても、一線は守らねばならないのである。
「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
「薬があるからといって毒を好むな」
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そういう人が成功する事はないと思いますね。
逆に、いつも笑顔で親切にしてくれる人。こういう人には、こちらも手助けしたいと思います。