芸術的な絵と上手いだけの絵の違いは何か?
岡本太郎はいろいろ言ったが、あれじゃあ、ちっとも分からない。
ちなみに、岡本太郎は、芸術とは「上手いのは駄目」「きれいなのは駄目」「いやったらしくないと駄目」と言ったのだ。
まあ、彼には、芸術界への反発もあり、当時としては必要な主張だったかもしれない。
しかし、いつまでもそれじゃいけない。
芸術とは、心を消す方向に導くもので、上手いだけの絵とは、心を太らせるものだ。

芸術は、心を捕らえて離さず、心は他のことに興味を失くし、さ迷わなくなる。
そうなれば、後は、その絵なり彫刻なりの芸術作品を燃やせば、心も消えてしまうという訳だ。
ところが、芸術作品なんて、高いものはとんでもない値段なので、燃やす訳にはいかないらしい。
まあ、本当は、実際に燃やさなくても、無関心になれば良いのである。
ところが、凄い値段で買ってしまうと、一生大事にしたりして、芸術の本来の目的と真逆の使い方をするのだから人間は愚かだ。

昔の人にとっては、『モナリザ』や『ヴィーナスの誕生』なんてのは、心を惹き付けて離さないものだった。
しかし、今の人から見れば、『モナリザ』はただのおばさんだし、ボッティチェッリ始め、いろんな画家のヴィーナスの絵を見たら、思わず「ダイエットしろよ」と言いたくなるのも仕方がない。
昔の女性は、美味しいものをたっぷり食べるが動かないことで得た「豊かな肉体」が高貴な証で、人間は観念に弱いので、そんな女性を美しいと感じたのだ。
だから、昔の絵画に描かれた美少女でも、現代風にスリムな子はおらず、皆、まるまる太っている。
『フランダースの犬』のヒロインであるアロアも、「まるまる太っていて大変に可愛い」等と書かれているのである。
かといって、全員アイドル体重クリアの乃木坂46の売れに売れている写真集のようなものは、見た者の心が太って動き回る。
私は、きれいなアイドルの写真集みたいなものは、見ると疲れるのであるが、本当は皆そうで、そんなものを見て元気いっぱいになることは本当はないのだと思う。

初音ミクさんの、最初のパッケージに描かれたKEIさんの絵は、まさに芸術である。
それはおそらく、KEIさんは、無意識に「これは人ではなくモノ」として描いたから、芸術になってしまったのだ。
KEIさんは腕を上げ、人間臭く描くようになったので、後のはもう芸術ではないが、それでも、どこか芸術らしさは残っているように思う。
赤坂アカさんが描いたIAのいくつかの絵が、上手い絵ながら芸術的なのは、赤坂さんが無意識で描いたからで、「初音ミクに負けない人気者にしてやろう」なんて気持ちはなかったのではないかと思うのだ。
芸術って、そんなものなのである。
そうそう。水木しげるさんが60歳を超えてから描いた妖怪の絵は、全くの芸術である。
本人も、「無意識で描けるようになった」と言っておられた。

まとめて言うと、芸術ってのは、すごく「儚い」ものなのである。
そして、無意識で描けば、誰が描いても芸術になる。
岡本太郎も『今日の芸術』で、本当はそう言いたかったのではないかと思うのだ。
さて、私も無意識に生きることにしよう。









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