息を吸ってしばらく呼吸を止めると記憶力が向上する・・・それも異常なほど向上することを、ヨーロッパで誰かが気付き、それが、スーパーラーニング、加速学習みたいなものになったと思うのだが、これらがさっぱり発展していかないのは、余計なことを付け加えたせいだと思う。
単に、息を吸って止めるだけで良いのであり、他には何もいらない。
だから、商売になどならない。
誰でも、無料で自由に活用すれば良いだけである。
中村天風という、とても偉い人は、肛門を締めよと教えたのは良かったが、やっぱり余計なことを言ったのだと思う。
天風が「肩の力を抜け」なんて言ったという話も聞くが、肩の力を抜くなんて難しいことをサラリと言うなんて、いかがなものかと思う。
肛門を締めるだけで良いのであり、やっぱり商売も教団もやれないのである。
藤平光一氏は、中村天風の一番弟子だったが、天風が偉人であったことは完全に認めながら、教えの全ては間違いだったとバラしてしまった。
その藤平氏の教えも、私には抽象的でさっぱり分からないか、矛盾を感じるかである。
中でも、藤平氏は、天風の言った「腹に力を込めよ」はいけないと言うし、確かに、意図的に腹に力を入れるべきでないとは思うが、肛門を締めれば、自然、腹や、さらには、臀部や脚(太腿や脹脛)にまで力は入るし、それは気持ちいいことなのだから、間違いではない。
やってみれば分かるが、上記を全てまとめ、肛門を締めながら息を吸い、肛門を締めたまま息を止めると、心が澄み、身体に力がみなぎる。

念仏と呪文は、原理は同じで、親鸞自身、念仏を誦文(じゅもん)と言ったこともあるが、誦文と呪文は同じである。
親鸞も、その師、法然も、念仏だけを薦めたが、人間には、言葉が向いている人もいれば、身体で行うことが向いている人もいる。
大抵の人は、それが適度に交じり合っているのであるが、強さの度合いは違うのである。
やはり原理は念仏と同じだが、現代人に合うものとして、万能呪文がある。
「絶対、大丈夫だ」
「全て順調だ」
「世界は意のままだ」
他にも、好きな言葉なら何でも良いが、たった1つの言葉を、感情を込めず、されど丁寧に、心の中で数多く繰り返せば、人間を滅ぼす、頭の中のつぶやきに打ち勝てる。
だが、身体を使うのが好きな人は、肛門を締めながら息を吸い、肛門を締めたまま息を止める方法が向いていることが分かった。
これを、1日20回ほどやれば、目覚しい効果があるが、数に制限はなく、多い方が良い。だが、数は徐々に増やしていくのが良い。
とはいえ、少なくとも、1日10回、志あるなら、20回以上やるべきである。
この肛門を締め、息を止めることは、続ければ超人になってしまう。
だから、謙虚さを要求されるところが、やや難しいところである。
傲慢な超人は必ず滅ぶからである。

だが、一番強い方法は、心からの願いがある場合だけだが、それを1日中でも祈ることである。
そんな願いがある者は幸いであるように見えるが、状況としては不幸である場合が多い。
どういうことかと言うと、「この辛い病気が治りますように」「いじめっ子と会わずにいられますように」といった、厳しいマイナスを解消する希望が、強い願いになるのだからだ。
普通に「彼女が欲しい」というのは、あまり強い願いにならないが、全ての女の子に厳しく見下される日々を過ごす者にとっては、強烈な願いになることがある。
逆境にある者専用の方法だが、実は、これが最強なのである。









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