身体的トラブルを起こした御老人に出会った時、こちらは役に立とうと手を尽くすのだが、後で考えると、対応が全く不適切であったと後悔する。
私は、父親が生きていた時に介護した経験があるから、相手が地面や椅子に座っている状態から立たせるコツは分かっているが、必ずしも、立たせたり、歩かせたりするのが正しい訳ではない。
また、父の場合は、いつも車椅子があったので、背中におぶったことがないため、背中に乗せるのは全く下手だ。
老人でも身体の大きな重い人はいるが、そんな相手を完全にしゃがんでおぶろうとすると、バランスを崩しかねない。かといって、しゃがみ方が少ないと、向こうが乗り難いのだと思う。
そのあたり結構難しいが、コツが分かれば上手くやれるのだろう。

梶原一騎氏原作の空手アクション漫画『新カラテ地獄変』で、不世出の空手家、大山倍達氏をモデルにした空手家、大東徹源が、終戦直後の日本で、若い女性が大勢の米兵に連れていかれ陵辱される寸前に得意の空手で助ける場面がある。大東徹源は、女性を適当な場所まで送って別れるが、後に女性と再会した時、女性は米兵相手の娼婦に身を落としていた。
大東徹源が、その女性がそうなったのは自分のフォローが駄目だったせいだと思い(実際、そうとも言えるのだが)、「俺のやることはいつも間が抜けている」と激しく後悔する場面を、私はかなり昔見たのだが、それが強烈に印象に残っている。
「俺のやることはいつも間が抜けている」
私がいつも感じることだ。
もっと熟慮すれば少しは役に立てたのに、自分が馬鹿なのか、いい加減なのか、助けるどころか迷惑になってしまっていることが多いのだ。
助けようという気持ちだけでは相手は楽にならない。
そして、最近、重々しく感じるキーワードが「ディスコミュニケーション」という、相互不理解を意味する和製英語だ。
初音ミクさんの『エイリアンエイリアン』という歌(ナユタン星人作)の「重度のディスコミュニケーション」という歌詞で、ちょっと気持ちが落ち込むのを感じるが(ライブでこの唄を歌うミクさんは掛け値なしに可愛かったが)、ミク廃には、そんな人は多くないのだろうか?
私は、ビジネス上のコミュニケーション力は磨いた・・・というより、コミュニケーションについては、それしか出来ないのだろう。
そして、ビジネスコミュニケーションとかビジネスの契約なんてのは、全く・・・とは言わないが、あまり人間的でない。
まあ、もっとも、ビジネスコミュニケーションは全く駄目で、普通のコミュニケーションは周囲とチャラチャラ出来るだけという程度の人が、いい歳をした人にも多い。私は、その「チャラチャラ組」を軽蔑していたが、それでも私よりはマシかもしれない。

別に愚痴ろうというのではなく、大抵の人は、自分の人間的スキルに不満があるだろうし、欠点が見えてきている場合もあると思う。
その修正は難しいし、出来ても時間がかなる。それは、多くの場合、落ちる水が岩を穿つごとく時間をかけて作ってしまったものだからだ。
この土日、Amazonプライムビデオで『BEATLESS』第22話「Protocol Love 」を何回も見たが、アラト(17歳男子)が「みんなが信じられる未来を」というのが、レイシア(美少女型スーパーアンドロイド)への音声コマンドになり、レイシアは「了解しました。これより、未来をアラトさんがデザインした方向に誘導します」と応え、リョウ(アラトの親友だが敵対している。無駄に頭が良い)が恐怖する。
アラトはレイシアという強力な力を持っているが、我々だって、それに負けない力を心の中に本当は持っている。
アラトは自分が「チョロい」という欠点を自覚していた。自覚した上で、レイシアに命じたのだ。
私に限らず、多くの人類の問題はディスコミュニケーション(相互不理解)だ。
精神科医ジーン・シノダ・ボーレンの本で見た覚えがあるが、『スタートレック』で、肉体を持たない精神生命体が宇宙船を操作するためにミスター・スポックの身体に入った時に、「なんて寂しいんだ!」と言ったらしい。なるほど、よく分かる。
人類は、ディスコミュニケーションの解消のためにインターネットを作り、最初はトラブルが多かったが、良い面も出てきて、概ね成功が見えてきた。
だが、まだ足りないなら、次はテレパシー能力を発達させる必要がある。
さて、あなたは、どんな未来をデザインするだろうか?









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