学生なら学校、サラリーマンや公務員は、それぞれの勤務先に、決められた時間、必ず行かなければならないという、「絶対的な義務」がある。
それは、「絶対的な義務」なのだから、そこから外れると、「もう終わり」になってしまう。
これはもう、「完全人間支配システム」と言って良い。
ただ、これまでの世界では、それは、「嫌だがやむなし」という面があった。
そうでなければ、「国民全員が確実に食べていけ、一部の特権階級が贅沢する」ことを維持出来ないからだ。

だが、インターネットで本当に社会参加出来るなら、その「絶対的な義務」が崩壊する。
けれども、まだまだインターネットは非常に未熟な段階なのだ。
それは、企業や人々のネット上の行為の大半が、非常に下らないものであることに現れている。
つまり、「ネットの情報の大半はクズ」と言われたら、「まあ、そうだなあ」と納得せざると得ないということだ。
とはいえ、そうはなくなってきつつはあると思う。
ただ、インターネットが社会と本当に融合するというのは、個人的な問題でもある。
ある人にとっては、インターネットは社会そのものでも、別の人にとってはそうではないということだ。
では、インターネットを社会にし得る人とはどんな人かというと、「インターネットで正々堂々稼げる人」だ。
「それは経済原理に縛られた考え方だ」と言われそうだが、経済原理で動く「現実社会」がまだまだ強いのだから、「インターネットで正々堂々稼げない」限り、いくらインターネットを使ったところで、その者は社会参加していない。

そして、おそらく、いくらインターネットが進歩しても、『マトリクス』や『ソードアート・オンライン』の世界にはならず、バーチャルとリアルは並存する。
まあ、後5千年もすれば、人間は肉体を持たない精神生命体になるのかもしれないが、それはまだ分からないし、そうなるとしても、はるか先の話だ。
それに、たとえネットで大金を稼いでいても、リアル世界との関わりが少なければ、なぜか精神が落ち着かなかったり、満足感が得られないものなのだ。
確かに、肉体や持ち物など、物質を過剰に崇めるのは間違っているが、身体やモノだって高い価値を持っていることを認めざるを得ないのである。

ただ、1つ突破口がある。
そうでなければ、上のようなことを長々書きはしない。
それは、物質とエネルギーは実は同じものであり、互いに変換出来るように、精神も物質とエネルギーに変換出来るということだ。
だが、物質とエネルギーの変換には核融合が必要であるように、精神を物質やエネルギーに変換するには特殊な方法が必要であり、その方法については、まだよく分かっていないのだ。
「エメラルド・タブレット」にそれがあるのかもしれないが、あまりに抽象的で、普通の人には意味が分からないし、本当に解き明かした人もいない・・・あるいは、いないに等しい。
そりゃそうだ。
精神とエネルギーの変換が簡単に出来たら、今の物質的社会は完全に不要になる。
「引き寄せの法則」や「潜在意識の法則」のようなものは、効果がほとんどないから誰でも知ることが出来るのだ。
本当の本物が、普通の人が見られるようになるはずがない。
それは、陰謀論のような特権階級の都合ということもあるのだが、善なる配慮でもあるのだ。
だが、教えてはくれないが、自分で見出すのは自由・・・というか、止められないのだ。
では、「求めよ、さらば、与えられん」である。
求めよ。
そのためには、ニセモノを排除する知恵と感覚が必要であることはお分かりと思う。
だが、その方法をモロに教えたら、公然猥褻と同じで(笑)、私も社会から消される。
よって、回りくどく教えよう(笑)。
いや、腕振り運動をして、後は、バガヴァッド・ギータ-か聖書を読めば良いだけだ。
ただし、「いつも」。そして、社会に抵抗してはならない。やりすごすのだ。それが出来ないなら見込みはない。
面倒なら念仏を唱えれば良い。他にも方法はある。
だが、「しゃんとする」のは自分である。









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