最近、つくづく思うことが、「必要のない願いは叶わない」だ。
一億円なら誰でも欲しいが、それが手に入ったら、貯金するだの、贅沢して浪費するなどでは、何の必要性も無いのであるから、そんな願いは叶わない。
願いを叶えるには、エネルギーが必要であるが、どうしてもそれが必要だという理由が無ければ、エネルギーは出てこない。

大発明家・能力開発指導者として知られた中山正和さんの本で見たことがあるが、潜在意識が願いを叶えるために動くのは、「命がピンチに陥った時」だ。
それが得られないと、生命力が低下する場合、潜在意識は、それを防ぐために、どうやっても願いを叶えるのである。
例えば、職場でいじめられて、本当に苦しいなら、生命力が低下し、命がピンチに陥っているのである。
そんな時、「良い職場」とか「独立起業」を願えば叶うだろう。
だが、多くの人は、そんな状況になっても、具体的に何かを求めないので、状況が良くならないのである。

だから、悪い状況は喜ばなくてはならない。
願いを叶えるエネルギーを得るチャンスであり、願いを叶えることで成長し、大きな生命力の持ち主にもなれ、さらに大きな願いを叶えられるようになるからだ。
だが、悪い状況になるのだって、自分で何かやってこそだ。
事業で成功した人というのは、好きなことを始め、それをやっているうちに危機的状況になったが、それを積極的な気持ちで打破すると決めたから、潜在能力を発揮し、結果、成功したのだ。
簡単に言えば「命をかけてやれば成功する」のである。
ただし、ここでも必要性の問題がある。
昔の時代劇映画で、こんな話があったのを覚えている。
ヤクザの一家に脅されている商家を見て、ヒーロー気取りの若い渡世人が、「あっしに任せなさい」と言って、1人でヤクザ一家と対決し、当然のことながら串刺しにされて殺される。
自分が本当にそれをやる必要があるか、少しは考えないといけない。

「可愛い彼女が欲しい」と言っても、「お前のどこに彼女の必要がある」と言われて仕方がない男なら、そんな妄想の願いは叶わないし、叶ったとしたら悲惨なことになる。
まずは、可愛い彼女とやらに相応しい男になるか、少なくとも、なろうとすることだ。そうしたら神様も、修行のためという目的込みで彼女を与えてくれることは、割とよくあることである。

私がプログラミングをマスター出来たのも、昔、「俺、このままじゃ、ひきこもりなのに何も出来ないのだから、人生真っ暗だ」と思ったからである。
昨今、「全ての人がプログラミングを習得すべき」なんて言われることがあるが、やはり、本人が必要を感じなければ駄目なのである。

だから、問題は大歓迎すべきだ。
私は、悪い状況になれば、本気で小躍りして喜ぶ。
やっと魔法が使える・・・ってね。









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