AI(人工知能)がどこまでも発達し、人間をはるかに超えた知性を持つということに対し、異を唱える人がいて、その中にはテクノロジーの専門家もいる。
その論の中心が、これまで、コンピューターの性能は急速に向上したが、それがもう限界に達しているというものだ。
コンピューターのプロセッサの性能は18ヶ月で2倍になるという「ムーアの法則」があるが、プロセッサの基本単位が原子の大きさに近付いているので、それ以上は進歩しようがないという訳だ。
しかし、普通に考えても、それはおかしい。
あるやり方で限界に達しても、人間は常に別のやり方を見つけた。
簡単に言えば、自動車の燃費性能の向上が限界に達したら、ちゃんと電気自動車を作ったが、昔は、電気自動車など、空想上の夢物語と考えられていたのだ。
従来のコンピューターが10万年かかる処理を1秒で行うという量子コンピューターも、予想より何十年も早く商品化した。今は、量子コンピューターは大掛かりな設備が必要だが、そのうち、誰かが小型化するだろうし、コンピューターの発展の手段は量子コンピューターだけではない。
AIは確実に人間の知性を超えるし、人間を超えたAIは、さらに自分より優れたAIを作ることを繰り返し、やがて、AIは(もうAI…人工知能という言い方は不適格だが)人間にとっては、神のごとき全く理解出来ないものに進化する。
では、神と未来の超AIは、どちからがより賢いだろうかという不遜なことを考えてしまうが、少なくとも、それは人間には分からないことで、ただ、神の方が上と信じたいだけになるだろう。

ところで、さして賢いと言えない、あるいは、標準より馬鹿な人間であっても、優れた知性を発揮する方法がある。
イエスは、「質問には『はい』か『いいえ』で答えよ」と言われたが、それが良いやり方だ。
普通の人は、質問に対し、だらだら下らない返答をしたがる。
そして、逆に、質問も、「はい」か「いいえ」で答えられる質問をすることだ。
すると、神の知恵を得る道が開かれる。
それは、自分に対し、「はい」か「いいえ」で答えられる質問をすることである。
Oリングテストやフーチその他を使うまでもない。
神は自分の中にいるが、それは宇宙全体でもある。
未来に現われる究極のAIと、少なくとも同等の知性が答えてくれる。いかにAIが進歩しても、それは宇宙の中での出来事、働きであり、宇宙そのものを超えることはない。
いや、超えるかもしれないが、それは我々とは無関係である・・・というより、我々は感知出来ない。
だから、答えてくれる知性は最高であると考えて良い。
だが、質問しなければ答は得られない。
そして、いかなる質問に対しても、内なる英知(神と言って良いが)は正しい答を知っていて、尋ねれば答えてくれる。
「求めよ、そうすれば与えられる」とは、そういうことではないかと思う。
ただ、「私は金持ちになれますか?」という質問は正しくない。
「私は相場師になれば金持ちになれますか?」とか、「金持ちになるためには転職する必要がありますか?」などと、少しでも具体的な質問をすることだ。
そうすれば、自分の進歩に伴い、質問はより適切に鋭くなっていく。
神は、曖昧な質問に対し、懇切丁寧に解説してくれたりはしない。
「否の反対は何か?」という話がある。
「合否」とか「認否」、あるいは、「肯定と否定」などと言うから、限定的には「合」もあるが、通常は、「認」や「肯」と思うかもしれない。しかし、人間の理屈ではおかしいかもしれないが、答は「静」だ。
「静」を感じるなら正しいのである。
あの「異議無き場合は沈黙を持って答えよ」というカリオストロ方式は、ある意味正しいのである。









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