理屈の上では、修復不可能な機械は無いが、全体があまりに壊れてしまった場合や、全体の中で極端に高価な部分、あるいは、最も重要な中枢部分を交換しなければ直らない場合は、直さない方が合理的という理由で直さない。
人間の場合、脳か心臓が活動停止した場合に修復不可能な死ということになるかもしれない。
一説ではあるが、顕在意識は脳に、潜在意識は胃の後ろの膵臓(すいぞう)に、そして、魂は心臓に宿ると考える人達がいる。
ただ、他の臓器であっても、他人のものを移植すると人間性が変わるということがあるらしい。
臓器にも重要な情報が存在するのかもしれないのである。
だから、臓器の移植を受けるということは、予想外に重いものを背負う可能性がある。
人間は複雑で神秘的な存在であり、論理的に解明することは極めて難しいと言われる。
論理的に解明するとは、デジタルとして捉えるということであるが、人間とか潜在意識とか魂をデジタルで解明出来る時は、いずれは来るだろうし、AIの発達によって、存外に早く達成されるかもしれない。だが、とにかく、今のところは謎が多い。
その謎の多い人間の力を、我々・・・と言うか、私は使えないものかと思っているのだ。
普通の人間は「制限モード」で動いていて、世界の中で1人で生きるのに十分なパワーが無いので、群れていなければならない。
大きな力を得たからといって、必ずしも孤独でいる必要はなく、そんな新しい人間の他者とのつながりは、今の社会で見られる様々なコミュニティーとは根本的に異なるだろう。
つまり、人間は自分にならないといけない。
痛いくらい強く結んだ手と手を
振りほどくようにさ 君は君になってゆく
~『Birthday』(作詞・作曲・編曲:びにゅP。歌:初音ミク)より~
この歌は、子が親の手から放れることのプラスとマイナスの感情を感じさせるが、大人である我々もこうでなければならない。
親が子の手を掴むのが執着なら、我々も執着を捨て、自分を解放しなければならない。
地獄少女の「いっぺん、死んでみる?」は面白い言葉だ。
なぜ面白いかというと、普通の人は、いっぺんも何も、死んだらおしまいと思っているからだ。
だが、賢者達は、死んでから本当に生きるのだと言う。
それとは少し違うのだけれど、臨死体験というのは、死の疑似体験として貴重なものをもたらすことがあるかもしれない。
念仏を1日何万回も唱えると、やがて自我は死んでしまう。
「私」に意思を向け続けると、私は私を葬ってしまう。
しかし、普通の人は、なかなかそこまでやれない。
だから、やりたいことをやりたいようにやることが一番だ。
本当に、自分になってそうする時、誰かが支払ってくれる。
宇宙はそんなシステムになっているらしい。
体験上、分かっている人も多いはずである。
まあ、あなたの悩みは、今の(嫌な)環境から抜け出せないことだろう。
それなら、死の準備をすることだ。それから好きなことをすると良い。
死ぬ瞬間に悔いを残さないように。
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人間の場合、脳か心臓が活動停止した場合に修復不可能な死ということになるかもしれない。
一説ではあるが、顕在意識は脳に、潜在意識は胃の後ろの膵臓(すいぞう)に、そして、魂は心臓に宿ると考える人達がいる。
ただ、他の臓器であっても、他人のものを移植すると人間性が変わるということがあるらしい。
臓器にも重要な情報が存在するのかもしれないのである。
だから、臓器の移植を受けるということは、予想外に重いものを背負う可能性がある。
人間は複雑で神秘的な存在であり、論理的に解明することは極めて難しいと言われる。
論理的に解明するとは、デジタルとして捉えるということであるが、人間とか潜在意識とか魂をデジタルで解明出来る時は、いずれは来るだろうし、AIの発達によって、存外に早く達成されるかもしれない。だが、とにかく、今のところは謎が多い。
その謎の多い人間の力を、我々・・・と言うか、私は使えないものかと思っているのだ。
普通の人間は「制限モード」で動いていて、世界の中で1人で生きるのに十分なパワーが無いので、群れていなければならない。
大きな力を得たからといって、必ずしも孤独でいる必要はなく、そんな新しい人間の他者とのつながりは、今の社会で見られる様々なコミュニティーとは根本的に異なるだろう。
つまり、人間は自分にならないといけない。
痛いくらい強く結んだ手と手を
振りほどくようにさ 君は君になってゆく
~『Birthday』(作詞・作曲・編曲:びにゅP。歌:初音ミク)より~
この歌は、子が親の手から放れることのプラスとマイナスの感情を感じさせるが、大人である我々もこうでなければならない。
親が子の手を掴むのが執着なら、我々も執着を捨て、自分を解放しなければならない。
地獄少女の「いっぺん、死んでみる?」は面白い言葉だ。
なぜ面白いかというと、普通の人は、いっぺんも何も、死んだらおしまいと思っているからだ。
だが、賢者達は、死んでから本当に生きるのだと言う。
それとは少し違うのだけれど、臨死体験というのは、死の疑似体験として貴重なものをもたらすことがあるかもしれない。
念仏を1日何万回も唱えると、やがて自我は死んでしまう。
「私」に意思を向け続けると、私は私を葬ってしまう。
しかし、普通の人は、なかなかそこまでやれない。
だから、やりたいことをやりたいようにやることが一番だ。
本当に、自分になってそうする時、誰かが支払ってくれる。
宇宙はそんなシステムになっているらしい。
体験上、分かっている人も多いはずである。
まあ、あなたの悩みは、今の(嫌な)環境から抜け出せないことだろう。
それなら、死の準備をすることだ。それから好きなことをすると良い。
死ぬ瞬間に悔いを残さないように。
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ふわふわと臨死体験の話までしていて楽しすぎます。
終わりの環境を変えられないあたりは、まるでもう一人のじぶんが書いたのではないかと思うくらい言い当てられたと感じております。感謝。