こんな話をちょっと思い出した。
玄奘三蔵という中国の有名な僧が若い時、いよいよインドに行こうとしていた。
当時、中国からインドへの旅は極めて困難で、生きて帰れる可能性はほとんどなかったらしいが、三蔵は仏教の経典を求めて危険を冒す覚悟だった。
ところがそんな時、インドから来た僧が重病に陥っているのを見つけ、三蔵はそれを見過ごさずに熱心に介護した。
やがて回復したインドの僧は、三蔵に、般若心経の呪文を教え、これを常に唱えれば、事故にも遭わず、病気にもならず、無事にインドに着けると言った。
三蔵は、言われた通り、その呪文「ガテーガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディスヴァーハー」を唱えながら旅をしたが、あらゆる危機を乗り越え見事、インドに到着する。
するとそこで待っていたのは、あのインドの僧だった。
インドの僧は、「私は観自在菩薩である」と言って姿を消した。

この話を見た時、私は、
「呪文を唱えれば病気にならないとか言って、インドの僧自体が病気で苦しんでるじゃないか?」
と思ったものだ。
それでも信じた三蔵はアホではないかと思ってしまったのだ。
しかし、今ならこう思う。
今が盛りの大金持ちの成功者が、「こうすれば成功するぞ」と言うものの方がずっと怪しい。
なぜなら、成功するためには、それに見合った代償と責任が求められる。
その代償と責任を負う覚悟のない者に、本当に成功する方法を教えられるはずがない。

三蔵は、インドへ行くという危険を進んで冒す覚悟があったし、すぐに出発するつもりだった。
つまり、代償を払うことに関しては合格である。
だが、仏教の僧である限り、インドから来た僧の苦難に手を貸す責任がある。
その責任を放棄しなかったことで、三蔵は成功の条件を満たしたのだ。

アラジンの魔法のランプは、誰でも得られる。
しかし、ランプの魔神は、願いに対し、代償を払い責任を負う覚悟を求める。
覚悟が出来た・・・つまり、代償を払い責任を負う決心をした時、魔神は現実を改変してでも、あなたの願いを叶える。
現実ハッキングの代償と責任は重い。
そして、魔神はあなたの潜在意識なのであり、魔神はあなた(顕在意識)と共同で事を行うのである。
般若心経の呪文は、代償と責任を負うことの宣言であり、それを担保に、雑多な負債は肩代わりしてもらえる・・・つまり、いかなる困難も突破出来る。
うかつに唱えて良い呪文ではないかもしれない。









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