ひきこもり、あるいは、社会不適合者は、著しく社会性に欠けているのである。
社会性は人間にだけあるのではなく、群を作る多くの動物にもあり、魚や細菌にすらあるかもしれないが、特に猿には顕著に見られると思う。
そして、猿の中にだって、ひきこもりや社会不適合者がいて、そんな猿は生きていき難いし、生きていられても惨めな生き方をするのは人間と似ている。

押入れPさんの手による、鏡音レン君の大ヒット曲『脱法ロック』は、社会不適合者の明るく楽しい歌なのだが、

現実逃避に縋(すが)れ 縋れ
負け犬になって吠えろ 吠えろ
理想像なんて捨てろ 捨てろ
それが 脱法ロックの礼法なんですわ
最底辺に沈め 沈め
社会不適合者に堕ちろ 堕ちろ
自殺点ばっか決めろ 決めろ
それが 脱法ロックの礼法なんですわ
~『脱法ロック』(作詞・作曲・編曲:押入れP、歌:鏡音レン)より~

なんて歌を、「マジカルミライ2017」では、バンドの方達がエネルギッシュに演奏し、どう見ても社会不適合者とは程遠い、キーボードの麗しのMEG.MEさんが、片手を突き上げながらもう片方の手で演奏する様子は、異様ながらイケてる。
しかし、ほとんど当てはまっている私は笑えないのだが・・・

社会不適合は仕方がないが、よく見ると、ひきこもれとは言っていない。
私は、ひきこもりが、そのままで良いとは絶対に言わない。
もがき苦しみながら、戦って勝たねばならない。
『BEATLESS』で、美しきレイシアが言ったようにだ。
「怖いのですか?」
「その怖れは乗り越えなくて良いのですか?」
「今戦わずに、いつ戦うのですか?」
我々にレイシアがいない訳ではない。
レイシアは、我々一人一人の潜在意識なのであり、その奥底ではつながっている。
潜在意識の力・・・神の力は求めるべきだが、我々も一緒に戦わなくてはならない。

必要なものは、実力と自信だ。
それを得ても、ひきこもりや社会不適合が治ったりはしない。
だが、惨めさは減る。
実力と自信を得るためには、戦わなくてはならない。
だが、レイシア(潜在意識)が一緒だ。恐れる必要はない。
何でもいいから、1つを磨くことだ。
それで、健康的な社会適合者になったりなどしない。
それでも、武器を得て戦い、勝つことである。
でないと惨め過ぎるじゃないか?









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