陸上短距離の為末大さんが、「アスリートは才能が99%」と言い、作家の橘玲さんが、ベストセラー『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で、人間の能力は所詮、生まれつきのIQ等で決まると、エビデンス(証拠)を挙げて論じた。
また、イギリスのある大学の研究で、人間の60%はプログラミングをマスター出来ないという結果を得、Ruby言語の開発者で知られる、まつもとひろゆきさんも、成績が悪くない大学生にも、プログラミングの能力が低い人がいたり、子供達にプログラミングをやらせると、成績に極端な差があることから、プログラミングにも才能があるのではと述べておられたと思う。
西尾維新さんの物語シリーズのどれかにも、天才バスケット少女が、才能がない限り、優れたアスリートになれないことを、説得力を持って語る場面がある。

私も、これらのことを完全に信じていた。
これを洗脳と言うのかもしれない。
これらは、全て間違いかもしれない。

私は最近・・・と言ってもわずか2日のことだが、正月休みのおかげもあり、蹲踞(そんきょ)という、相撲や剣道で行われる座法を日常で度々行い、トレーニングの際にも、間々に何度も蹲踞するようになったら。動きが鋭くなり、武術の能力が上がったように思う。私にも武術の才能が出来てしまったように感じる。
それで思ったのだ。
陸上競技で、グラウンドで同じ練習をしながら、1人の選手は巣晴らしい能力を発揮するが、別の選手は、進歩が遅く、また、今後もそれほど伸びそうに思えない。
こんな場合、前者は才能があり、後者は才能がないと言うのかもしれない。
ところが、優れた方の選手は、子供の時から、砂浜で裸足で遊ぶことが多く、日常でも、ほとんど裸足で過ごし、また、靴よりも草履のような履物を好み、靴を履く時も、足の指が自由になる柔らかく、サイズに余裕があるものを選んでいる・・・などで、足の親指を鍛えられていて、それが大きな能力をもたらしているのかもしれない。
こういったことは、ほとんど考慮されない。

私も、蹲踞をすることで、足の親指が鍛えらるとまでは言わなくても(わずか2日しかやっていない)、足の親指を使う意識が出来たのだと思う。
調べてみると、古武道では、足の親指の力を非常に重視して蹲踞を生み、それが相撲や剣道に伝わったという話もあるらしい。

プログラミングにいたっては、たまたま持っている、ちょっとした考え方の違いで、学ぶモチベーションや情熱が全然違ってくる。
乱暴な言い方をすれば、ロマンさえ感じることが出来れば、プログラミングは誰でも出来るが、ロマンを感じないなら、頭が良い人でも本当に出来ない。
いや、頭の良さなんて、所詮、モチベーション、パッション(情熱)、エンスージアズム(霊感)によるもので、これらは全て、後天的経験や学びで決まるものだ。

スポーツにしろ、プログラミングにしろ、感情的なものの影響は非常に強いが、それと共に、現実的な考え方が重要だ。
実力のない人間というのは、どこかズレているのである。
それは、家庭での教育の影響が大きい。
通るはずのない理屈を主張する者や、良い意味での常識的な考え方が出来ない者でも出来ることはあるかもしれないが、少なくとも、スポーツやプログラミングでは、あるレベル以上にはなれない。
まともな思考を鍛えるには、例えば、イソップやマルクス・アウレリウス、あるいは、法句経や論語を読むと良いと思う。









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