人類史上最高のスプリンターと言われるウサイン・ボルトは背骨に障害を持ち、それは本来、陸上短距離走者としては致命的な欠陥であるようだ。
それで、ボルトは、困難を抱えて苦闘する人々の希望になっているのだろう。
しかし、こんな言い方をしたら文句や非難まで出るかもしれないが、ボルトは、障害があったからこそ成功したのかもしれない。
つまり、人間は、困難があった方が成功するのである。
むしろ、才能はあるのに、「困難に恵まれなかったために」成功しなかった人が多いに違いない。

困難があった方がクリエイティブになれるといったテーマで、2015年にティム・ハワードがTEDで講演した中で取り上げた、ジャズピアニストのキース・ジャレットのドイツ・ケルンでのピアノソロコンサートは、まさに困難だらけだった。
ジャレットは長距離を運転し24時間眠っていなかったし、主催者は何かの手違いでちゃんとしたピアノを用意出来ず、ジャレットは小さな音の弱い、そして、壊れているピアノで演奏した。
ところが、その演奏が、ジャズ部門で史上最高の売上となる名演奏になったのである。

成功した人、最高の業績・成果を上げた人がいれば、「この人にはどんな困難があったのだろう?」と、最初に思っても良いくらいではないだろうか?
実際、成功の陰には、必ず障害があるのだと思う。
むしろ、何かに取り組む際、困難がなければ、「私は成功出来ないのではないだろうか?」と不安に思うくらいで丁度良い。
まあ、本気で何かに取り組めば、必ず困難に・・・そして、志が大きいほど、大きな困難がやってくるものだ。

そこにいくと、ひきこもり器質なんて、何をやる上においても障害なのであるから、最初から成功の種を持っていると思って良いのである。
一歩を踏み出しさえすれば、困難に抗いさえすれば、必ず成功するのである。
ただ、成功の定義はそれぞれで、必ずしも大富豪になるようなことではなく、何度か引用したが、ドワンゴの川上量生会長がブログで書かれていたように、社会の最底辺に入れてもらえることかもしれない。
ただし、ひきこもりが社会の最底辺に入れた時、そのひきこもりは何か貴重なものを得ているのであり、それこそが本当の成功なのである。
あの世にお金は持っていけないが、ひきこもりが得た、その何かは、重要なものとして持っていけるのだと思う。

思想家の吉本隆明さんは、自分はひきこもり気質だと言われていたと思うが、もしそうでなければ、彼は大思想家にはなれなかったに違いない。
ただ、欠陥の自覚がなければ、それは武器にならないのだと思う。
サイコパスだって、それを人間としての致命的欠陥と自覚出来るサイコパスだけが本当の意味で成功するのだろうと私は思うのだ。









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