呪文、マントラ、念仏、坐禅、静坐・・・これらは、同じことをやっているのだと思う。
それは、「注意を引き戻す」ことだ。
他にも、自分の思考に注意したり、自分が存在していることを意識するという方法もあるが、それらもやはり、「注意を引き戻す」訓練なのである。

元Googleの技術者であったチャディー・メン・タンは、SIY(サーチ・インサイド・ユアセルフ)という、マインドフルネスの訓練でEQ(心の知能指数)を高める技法を開発したが、その実習の中にも、自分の呼吸を意識するというものがある。
自分の呼吸を意識するというのは、古くから、様々な修行や心の訓練で採用されているが、その意義について、タンは、『サーチ・インサイド・ユアセルフ』の中で、アメリカの心理学者ウィリアム・ジェイムズの最適な言葉を引用している。

そして、さまよう注意を自発的に繰り返し引き戻す能力は、分別や人格、意思の根源にほかならない。それなしでは、いかなる者も自分の主とは言えない。この能力を育む教育は卓越した教育だろう。
『サーチ・インサイド・ユアセルフ』(チャディー・メン・タン著。Kindle電子書籍の25%あたり)
James,The Principles of Psychology(翻訳『心理学の根本問題』)より引用されている。

法然のように、いつでもどこでも、常に念仏を称えたり、黒住宗忠や岡田虎二郎のように常に腹に力を込めることも、これである。
ラマナ・マハルシは、常に自分に対し「私」と呼びかけよと、また、ニサルガダッタ・マハラジは、常に存在の感覚にしがみつけと教えた。
どれも良い教えだが、その原理を、ウィリアム・ジェイムズやチャディー・メン・タンがやっと示してくれたのだと思う。
そして、原理さえ分かれば、やり方は自分で自由に選べる。
どんな方法が良いかは、人それぞれだ。
子供の時に、念仏や、何かの真言に馴染んだ者には、念仏や、その真言がやり易い可能性が高い。
どれが良いか分からないなら、自分の呼吸を意識する方法が最良と思う。
呼吸をコントロールするのではない。ただ、呼吸を観察するのだ。冷徹な科学者のようにね。

ラマナ・マハルシは、「私は誰か?(私とは何か?)」という問いを、呪文にしてはならないと言ったらしいが、真面目に丁寧にやるなら、呪文のようにやって良いと思うし、マハルシ自身が、常にそう問えと言っているのであるから、やはりそうであるはずだ。
ベアード.T.スポールディングは、「神」という言葉を口や心で称えることが最上だと述べているが、やはり、これを呪文にしてはならないとも言っている。しかし、やはり、真摯に行う限り、常に行うのが良いと私は思う。









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