私は、特にダニエル・グレイブがボンドを演じる007映画や、『スーパーマン』の映画は、見ると、本当に疲れる。
これらの映画では、必ず、優秀な一人の悪役が登場する。
『スーパーマン』では「大天才」レックス・ルーサーだし、007では、毎回違っているが、やはり天才的な敵が登場する。
しかし、その敵達が、「あまりに真面目な悪人」でいけない。
「あまりに真面目な悪人」とは、「心に一点の曇りもない悪人」である。
まあ、悪の権化ってやつだ。
しかし、そんなものは世の中に存在出来ないはずなのだ。
だから、悪人ってのは、本当は、どこか芝居がかったところがあり、「作り物感」がもっとあるはずなのだ。

宇宙には、「与えたものが与えられる」という、絶対的な法則があることは、宗教や科学で教わらなくても、あまりに自然なこととして、誰だって感知しているはずだ。
だから、レックス・ルーサーのような超頭の良い人が、そんなことを、はっきりと知っていないはずがない。
もし、ルーサーがいたとしたら、彼は、自分がいつか、自分が他の人達にやったくらいの酷い目に遭うことくらい、完璧に理解しているはずなのである。

人類最悪の人間が誰かを決めることは出来ないだろうが、アドルフ・ヒトラーがその1人であるということに、あまり異論がある人はいないだろう。
しかし、ほとんどの人が、ヒトラーの悪事を、自分で確認した訳ではない。
こう言うと、現実に被害に遭った人達やその関係者の反発は大きいかもしれないが、それでも、私にとっては、ヒトラーのことは、ただの情報であることも確かなのだ。
もし、ヒトラーが本当に、情報の通りか、それに近い存在であるなら、彼に共感する部分があるはずで、彼について知れば知るほど、「彼は私だ」と思うはずなのである。
そうであってこそ、私はヒトラーにならないし、次のヒトラーは生まれないのだ。
そして、ヒトラーもやはり、作り物で、偽物で、芝居がかっており、まるで戯曲や映画の登場人物なのである。
それも、とびきり下手なキャラクターだ。
つまり、007やスーパーマンに出てくる悪人達のキャラクター設定は、情報としてのヒトラー並に、絶望的なまでに下手で馬鹿げているのである。

1967年に放送された『剣』という時代劇の第1話『天下一の剣豪』で、丹波哲郎演じる戸沢一刀斉は、天下にその名が鳴り響く日本一の剣豪だった。
ところが、戸沢一刀斉を名乗る偽物が現れ、そのネームバリューで若い娘を誘惑し、面談料やサインで儲けると、やりたい放題だった。
ある時、なんと、一刀斉本人が宿泊した宿に、その偽物がいて、そこでも、姫様を弄び、サイン入りグッズを販売していた。
ところが、一刀斉の門下の剣士達が、「懲らしめてやりましょうか?」と言うと、なぜか、一刀斉は、「捨ておけ」と言う。
一刀斉は心で想う。
「あれは俺だ。俺も、本当は、あんなことをしたいのだ。あいつは、俺の代わりに、それをやってくれているのだ」
さすが天下一の剣豪である。

与えるものが与えられる。
イエスの教えの最重要事項であるが、これさえ知っておけば、他はいらないほどである。









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