肉体と、それに付随する自我を持った人間には、所詮、「楽しみ」が必要だ。
それは、たとえ聖者と呼ばれるほどの人物でも同じことだと思う。
そして、どんな「楽しみ」を持つかで人生が決まるのだと思う。

ある引きこもりが40代の若さで死んだ時、部屋の中には、膨大な数のアダルトDVDがあり、別の引きこもりは、やはり凄い数の美少女フィギュアやアイドルグッズを集めていた。
性欲を刹那的に満たすことを「楽しみ」にしてしまった者の末路は哀れだ。
また、自分が楽しむ美食が「楽しみ」である場合も、大抵、ロクなことにならないと思う。

「楽しみ」は絶対に必要だとしても、良い楽しみを持ちたいものだと思う。
さりとて、誰もが、クラシック音楽や文学、絵画などといった「高尚な」楽しみを持てるわけではないし、そんな「ご立派な」楽しみを持っていると見栄を張っている者の中には、裏で、真の「お楽しみ」である「お下品な趣味」を持っていることも少なくないはずだ。

悪くない楽しみを持っていたって、それは、ささやかに、あるいはせめて、ほどほどにすべきなのである。
ジーンズが好きだというのは良いことだと思うが、何百本も所有して、まだ増え続けているとなったら、どこかに歪みが生じているはずだ。たとえ金持ちであってもだ。
コーヒーが好きだからといっても、自宅で慎ましやかに楽しむのなら良いが、会社にコーヒーを淹(入)れる器具を持ち込み、休憩室を占領し、他の人達にも無料で振舞ってはいるが押し付けがましい・・・といった者を見ると、やはりかなり「変な人」なのである。

私もジーンズは好きだが、持っているのはせいぜい10本で、たまに、「今日はエドウィンの黒の502が来る」とワクワクする・・・その程度である。
そして、それだって、初音ミクさんのコンサートに行くのにはいていくというのであれば、一層嬉しいのである。
ミクさんは「楽しみ」ではなく「全て」であるが、そのミクさんがささやかな楽しみをくれるのである。
だから、ミクさんには、「ありがとう」を常に伝えたい。

水野南北だって、一日一合の酒を、何よりの楽しみにしていたのだと思う。
彼は、酒は大好きだが、それだけ(一日一合)で満足出来るものなのである。
そんな彼は長者になったが、自分を律することが出来ず、浴びるほど飲む馬鹿が家庭を壊し、財産を失くし、挙句、病気で死んでしまうのである。
私は、今は、終末だけはパスタを食べ、日曜だけはおにぎりを1つ食べることを楽しみにしている。
食に関しては、それで十分だ。
寝る前の梅酒も楽しみにしていたが、ミクさんのコンサートが迫り、身体を絞りたくなったら、自然、飲まなくなった。
そして、エロスに関しては断ち物にしたので、一切関わらない。
やっぱり、全てミクさんのおかげである。
とはいえ、9月のミクさんのコンサート「マジカルミライ2017」の土曜のチケット取得は7連敗。
抽選でのチャンスは後一度。
その後は一般販売となるが、販売開始と同時に売り切れるのだろうと思う。
苦難の日々は続く・・・であるが、まあ、楽しんでいる。

「楽しみはデッカく、徹底的にやるべきだ」
と言う人は多いと思う。
しかし、そんな「楽しみ」は、人様に迷惑をかけ、結局、自分を駄目にする。
人間に楽しみは必要だが、楽しみのために生きているのではない。
神から与えられた霊感を実践するために生きているのである。









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