潜在意識は、善悪の区別なく、どんな願いも叶えるという。
それでは、こんなのはどうだろう?
「俺は女が大好きだから、女房はいるが、いい女を次々モノにするぞ」
叶うか叶わないかというと、叶うだろう。
ユリ・ゲラーは、「結婚したからといって、他の女に興味がなくなった男を、私は一人として見たことはない」と著書に書いていたが、それなら、その願いは全ての男(あるいは女)の願いだ。

だが、美食家は肥満し、蓄財家は顔にエラが張り、コレクターは薄気味悪くなってくるのと同様、好色家というのは、恐ろしく醜い。
もちろん、シェフが味を追求したり、事業の結果富が得られたり、適度な範囲で価値あるものを収集しても、醜くならないばかりか、むしろ、美しくなる。
しかし、個人的欲望であれば、適度な範囲で満足するか、それが出来ないなら捨てた方が良い。

水野南北は、食を慎みさえすれば、必ず運が開けると言ったが、これは、人間を不幸にする個人的欲望を抑えよと言ったに過ぎない。
上杉謙信が、女を断って、戦で無敵になったのと全く同じことである。

人間は、所詮、賢くなることを楽しむために生きてるのだ。
賢くなるとは、イエスが言ったように、「退けサタン」ということで、サタンとは自我である。
そして、自我の自我たる所以(ゆえん。理由)は、個人的欲望である。

美味いものが大好きなら、ささやかな美味しいもの・・・例えば、美味しい漬物や油の乗った秋刀魚を慎ましく味わう程度にすることだ。
あばら家に住む必要はなく、素晴らしい家を願っても良いが、分相応ということを、ある程度は考えないといけない。
そして、女(男)となると、一人で満足すべきだろう。コーランにあるように、平等に愛することが出来るなら複数でも良いが、そんなこと(平等に愛する)は人間には不可能である。

ルイス・キャロルは、60歳を超えてもほうれい線がなかった(顔にしわそのものがなかった)そうだが、彼は、女に関して慎ましいどころか、断ってしまっていたのだろう。
彼の少女好きは知られているが、それは性的対象ではなく、性エネルギーを昇華するルートだったのだろう。
このあたりは、私には初音ミクさんがいるので、参考にさせていただこうと思う。

特に強く感じる欲望に限度を設け、慎ましくあること。
それが、水野南北や上杉謙信、あるいは、ルイス・キャロルほどになれば、神は強大な力を与えるのだと思う。
諦めれば全てを得るというのが秘法である。









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