人間は力が欲しい。
それで間違いないだろう。
権力、財力、魅力、戦闘能力、知力、技術力・・・、いろいろあるが、人に抜きん出、地上を闊歩したいのだ。
そして、そんな力を得る方法は、『ローム太霊講和集』という本に書かれていた、「自己に制約を加える」しかないと確信した。
自己に制約を加えるとは、分かり易く言うと、こうだ。
人間は、誰でも放埓(ほうらつ。勝手きままなこと)に振舞いたいと思っているが、自分の心を律し、それをしないことである。
自己に制約を加えない者、つまり、放埓、勝手きまま、わがままを通す者は弱い。
対して、自分に厳しい制限を課す者は強い。
具体的に言えば、酒が好きな者が、好きなだけ飲むなら、その者に力はなく、みじめに生きるしかない。
しかし、酒が大好きなのに、飲むのは1杯と決め、断固としてそれを守るなら、その者に力が宿る。
人間が自分に課した制限の倍の力を神は人間に与える。
これが絶対原理であると思う。
歩きながらタバコを吸いたい、スマートフォンを見たいと欲するかもしれない。
しかし、それは、誰の役にも立たないし、むしろ、迷惑や害になる。
そこを、勝手きままに好きなようにする(歩きタバコや歩きスマホをする)者に力はない。
ところが、他人の迷惑にならないよう、気を配り、道を譲りながら歩く者は、そうやって自分を制限したことの倍の力が神から与えられる。
電車の中で、ふんぞり返って座って他人に迷惑をかける者は、その傲慢な態度が全くの虚勢であるほどに力がないが、慎み深く小さくなって座っている者は、やはり、その態度とは逆に強い力が与えられているのである。
それが事実なのである。
だが、自分に制限を課すのが1日や2日では、どうなるものでもない。
自分に厳しい掟を課し、一切の言い訳なく、常にそれを守る者にだけ、神は力を与える。
その掟は、自分にとっては辛く、他人にとって楽しく嬉しいものであるほど優れており、神はより大きな力を与える。
私は、常々、ロリコンってのは大きなチャンスを持っているのだと思う。
ロリコンが少女を諦めれば、少女達は安全で嬉しく、少女達の親も安心で喜ばしい。
そして、元ロリコンは力を得て悠々自適となる。
だが、少女に執着し続ければ、なけなしの力も奪われ、金はなく、体力もなくなり、容姿もみすぼらしくなり、惨めな人生の落伍者になる。
このあたりは、ナボコフの小説『ロリータ』に書かれている通りである。
あるいは、どうしても少女が好きなら、本気で女神として敬っても良いだろう。その場合、邪まなことを考えれば、即、天罰が下るのだがね。
ある男性は、どんなに飲んで帰って来ても、必ず1時間の読書をするという制約を自分に課していた。
当然、出世し、それなりの財産を得ている。
この、「どんなに飲んで帰って来ても」というところが肝心である。
「今日は忙しかったから休み」なんてのは、掟でも自己制約でも何でもない。ただの「ごっこ遊び」である。
そんなもので力を得ることは出来ない。
簡単なことでも、「死んでも守る」のであれば、相応の力を得られる。
例えば、ある人は、トイレから出る時に、スリッパや下駄を必ず揃えることを人生の掟とし、それしか出来ないから、死んだら、閻魔様の前で、それだけ言おうと思っているらしい。
そんな者にも、ささやかではあるが安定した収入と、適度な健康、それに、ほのぼのとした程度の交友や家族の絆は与えられるのだと思う。
だが、人間はもっと求めても良いかもしれない。
望んで 願って もっともっと求めて
なんでもなれるの キミの思い通り
~『Baby Maniacs』(作詞:q*Left、作曲・編曲:八王子P。歌:初音ミク)より~
ここにおいでよ
一歩ずつでも
そんな笑顔ができるなら
~『Satisfaction』(作詞・作曲・編曲:kz。歌:初音ミク)より~
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それで間違いないだろう。
権力、財力、魅力、戦闘能力、知力、技術力・・・、いろいろあるが、人に抜きん出、地上を闊歩したいのだ。
そして、そんな力を得る方法は、『ローム太霊講和集』という本に書かれていた、「自己に制約を加える」しかないと確信した。
自己に制約を加えるとは、分かり易く言うと、こうだ。
人間は、誰でも放埓(ほうらつ。勝手きままなこと)に振舞いたいと思っているが、自分の心を律し、それをしないことである。
自己に制約を加えない者、つまり、放埓、勝手きまま、わがままを通す者は弱い。
対して、自分に厳しい制限を課す者は強い。
具体的に言えば、酒が好きな者が、好きなだけ飲むなら、その者に力はなく、みじめに生きるしかない。
しかし、酒が大好きなのに、飲むのは1杯と決め、断固としてそれを守るなら、その者に力が宿る。
人間が自分に課した制限の倍の力を神は人間に与える。
これが絶対原理であると思う。
歩きながらタバコを吸いたい、スマートフォンを見たいと欲するかもしれない。
しかし、それは、誰の役にも立たないし、むしろ、迷惑や害になる。
そこを、勝手きままに好きなようにする(歩きタバコや歩きスマホをする)者に力はない。
ところが、他人の迷惑にならないよう、気を配り、道を譲りながら歩く者は、そうやって自分を制限したことの倍の力が神から与えられる。
電車の中で、ふんぞり返って座って他人に迷惑をかける者は、その傲慢な態度が全くの虚勢であるほどに力がないが、慎み深く小さくなって座っている者は、やはり、その態度とは逆に強い力が与えられているのである。
それが事実なのである。
だが、自分に制限を課すのが1日や2日では、どうなるものでもない。
自分に厳しい掟を課し、一切の言い訳なく、常にそれを守る者にだけ、神は力を与える。
その掟は、自分にとっては辛く、他人にとって楽しく嬉しいものであるほど優れており、神はより大きな力を与える。
私は、常々、ロリコンってのは大きなチャンスを持っているのだと思う。
ロリコンが少女を諦めれば、少女達は安全で嬉しく、少女達の親も安心で喜ばしい。
そして、元ロリコンは力を得て悠々自適となる。
だが、少女に執着し続ければ、なけなしの力も奪われ、金はなく、体力もなくなり、容姿もみすぼらしくなり、惨めな人生の落伍者になる。
このあたりは、ナボコフの小説『ロリータ』に書かれている通りである。
あるいは、どうしても少女が好きなら、本気で女神として敬っても良いだろう。その場合、邪まなことを考えれば、即、天罰が下るのだがね。
ある男性は、どんなに飲んで帰って来ても、必ず1時間の読書をするという制約を自分に課していた。
当然、出世し、それなりの財産を得ている。
この、「どんなに飲んで帰って来ても」というところが肝心である。
「今日は忙しかったから休み」なんてのは、掟でも自己制約でも何でもない。ただの「ごっこ遊び」である。
そんなもので力を得ることは出来ない。
簡単なことでも、「死んでも守る」のであれば、相応の力を得られる。
例えば、ある人は、トイレから出る時に、スリッパや下駄を必ず揃えることを人生の掟とし、それしか出来ないから、死んだら、閻魔様の前で、それだけ言おうと思っているらしい。
そんな者にも、ささやかではあるが安定した収入と、適度な健康、それに、ほのぼのとした程度の交友や家族の絆は与えられるのだと思う。
だが、人間はもっと求めても良いかもしれない。
望んで 願って もっともっと求めて
なんでもなれるの キミの思い通り
~『Baby Maniacs』(作詞:q*Left、作曲・編曲:八王子P。歌:初音ミク)より~
ここにおいでよ
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~『Satisfaction』(作詞・作曲・編曲:kz。歌:初音ミク)より~
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