ゲーテは、人間にとって最も重要な感情は、敬うという気持ちだと言っていたのだと思う。
ただ、これほどの大文学者の言葉であるから、翻訳の際、単純に「敬う」ではなく、「敬虔」とか「畏敬」、「畏怖」といった、普段使うことのない重々しい言葉が使われるが、これらは、「敬う」の程度が高いことを示しているだけのことである。
しかし、我々は、大いに敬うより先に、敬うことを覚えなければならない。
潜在意識による成功法則とか、引き寄せの法則、あるいは、神仏への祈りにより願望成就といった、願いを叶える方法がいろいろあるが、それらは、願いを叶えることが出来る大きな力とか英知があってこそのものである。
そして、そのような英知や力は確実に存在する。
それは、自然を観察すれば明らかである。
だが、そのような英知や力に対する敬いがなければ、願いは叶わない。
敬っているふりではなく、本当に敬うことが大切だ。
しかし、我々は、金や権力を持っている者に対する、偽りの敬いである、媚びること、へつらうこと、おもねること、追従(ついしょう)することに慣れてしまい、敬うことが出来なくなってしまっている。
だから、本当に大切な願いを叶えることが出来ないのである。
願いを叶えてくれる英知や力のことを、神と呼んだり、仏と呼んだり、あるいは、固有の神や仏、その他の神秘的存在の名で呼んだりすることもあるが、それらへの敬いがなければ、願いを叶えてくれない・・・と言うよりは、それらは、願いを叶えることが出来ないのだろう。
なぜなら、敬う心は透明であるが、媚びへつらう心は汚れていて、気持ちを届けることが出来ないからだ。
もちろん、心が汚れていようが、神仏には我々の願いはお見通しであるが(我々以上に)、そのような願いを叶えることは出来ないのだろう。
では、「敬う」とは、どういうことだろう?
我々は、実に、そんなことも分からなくなっているのだ。
だが、簡単なことだ。
我々の心は、相対的なことしか分からない。
だから、敬うとは、自分が慎むことである。
もっと簡単に言えば、敬う相手に対し、自分を、その下に置くことである。
さらに肝心なことを言うなら、自分を偉いと思わないことである。
アインシュタインが、自分を少しも重要人物だと思っていなかったようにだ。
ところが、愚かなる我々は、自分は偉いと思っている。
それでは願いが叶うはずがない。
敬うという感情を育てることだ。
方法は自由である。
私の場合は、初音ミクさんを敬うことで、少しずつ、その貴い感情を育ててきた。
もちろん、ミクさんに願うわけではないのだけれど、その感情を知れば知るほど神と仲良くなり、頼り甲斐のあるパートナーになってもらえるのだろう。
私だけでなく、ミクさんが好きな人達は、コンサートでの様子を見ても分かる通り、本当にミクさんを敬っている。
だから、日本は大丈夫であるし、世界は大丈夫である。
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ただ、これほどの大文学者の言葉であるから、翻訳の際、単純に「敬う」ではなく、「敬虔」とか「畏敬」、「畏怖」といった、普段使うことのない重々しい言葉が使われるが、これらは、「敬う」の程度が高いことを示しているだけのことである。
しかし、我々は、大いに敬うより先に、敬うことを覚えなければならない。
潜在意識による成功法則とか、引き寄せの法則、あるいは、神仏への祈りにより願望成就といった、願いを叶える方法がいろいろあるが、それらは、願いを叶えることが出来る大きな力とか英知があってこそのものである。
そして、そのような英知や力は確実に存在する。
それは、自然を観察すれば明らかである。
だが、そのような英知や力に対する敬いがなければ、願いは叶わない。
敬っているふりではなく、本当に敬うことが大切だ。
しかし、我々は、金や権力を持っている者に対する、偽りの敬いである、媚びること、へつらうこと、おもねること、追従(ついしょう)することに慣れてしまい、敬うことが出来なくなってしまっている。
だから、本当に大切な願いを叶えることが出来ないのである。
願いを叶えてくれる英知や力のことを、神と呼んだり、仏と呼んだり、あるいは、固有の神や仏、その他の神秘的存在の名で呼んだりすることもあるが、それらへの敬いがなければ、願いを叶えてくれない・・・と言うよりは、それらは、願いを叶えることが出来ないのだろう。
なぜなら、敬う心は透明であるが、媚びへつらう心は汚れていて、気持ちを届けることが出来ないからだ。
もちろん、心が汚れていようが、神仏には我々の願いはお見通しであるが(我々以上に)、そのような願いを叶えることは出来ないのだろう。
では、「敬う」とは、どういうことだろう?
我々は、実に、そんなことも分からなくなっているのだ。
だが、簡単なことだ。
我々の心は、相対的なことしか分からない。
だから、敬うとは、自分が慎むことである。
もっと簡単に言えば、敬う相手に対し、自分を、その下に置くことである。
さらに肝心なことを言うなら、自分を偉いと思わないことである。
アインシュタインが、自分を少しも重要人物だと思っていなかったようにだ。
ところが、愚かなる我々は、自分は偉いと思っている。
それでは願いが叶うはずがない。
敬うという感情を育てることだ。
方法は自由である。
私の場合は、初音ミクさんを敬うことで、少しずつ、その貴い感情を育ててきた。
もちろん、ミクさんに願うわけではないのだけれど、その感情を知れば知るほど神と仲良くなり、頼り甲斐のあるパートナーになってもらえるのだろう。
私だけでなく、ミクさんが好きな人達は、コンサートでの様子を見ても分かる通り、本当にミクさんを敬っている。
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