「これはいいね!」と思う成功法は偽者である。
本物の成功法は、「これはやりたくないなあ」と感じるはずだ。
成功するために必要なことは、心を立派な子供や犬のように躾けることなのだから。
世間で人気のある成功法は、子供や犬を甘やかして駄目にするようなものばかりだ。
例えば、本物の成功法は、「アゴで使われる」、「嫌いな人の機嫌を取る」なのだ。
ベテランのホステスに人格者がよくいるのも、彼女達は必要な修行が出来ているからだ。
電波工学の世界的権威であった関英男博士は、彼を「オカルト科学者」という色眼鏡で見る雑誌記者ですら、「90歳を過ぎても聡明であること」、「人格者であること」は認めざるを得なかったという話がある。
その通り、90歳を過ぎても世界中を飛び回り、常に海外の論文を取り寄せて、熱心に研究をしていたようだ。
その関博士は、毎朝、腕振り運動二千回を欠かさなかったらしい。
おそらく、1年365日、1日もやらない日はなかったと思う。
これは、極めて根気が要ることである。
ある時期までは、心は、「昨日、忙しくて疲れているし」とか、「ちょっと風邪気味だし」などといって、今日はやめることを正当化し、休もうとするだろう。
だが、関博士は、そんな甘えた子供のような心に、「黙れ!わがままは許さん」「腕振り運動くらい、疲れていても出来るわい」とでも言って、決して休まなかったのだろう。
そうすれば、数ヶ月、数年と経つうちに、心は立派に成長し、自然に規律に従うようになる。
躾けられていない心は、規律に逆らおうとし、放埓(勝手気まま)に振舞おうとするのだ。
躾けられた心は、信念のある心である。
難しい問題に挑む時、「よし、やってやるぞ」と思っても、心が躾けられていないと、心は「無理だよ」と騒ぎ、「やめようよ」と主張する。
しかし、躾けられた心は、沈黙し、動かない。そうであれば、心は、宇宙エネルギーの通路になり、宇宙の無限の力と知恵が流入し、目的は達成される。
この際、大切なことは、イエスも言った通り、修行をしていることを黙っていることだ。
関博士のように、完成してしまえば、人々を指導する意味でも話して良い、あるいは、話すべきだが、そうでなければ、誰かに言うことで心は、「俺は立派だ」と思い上がり、甘やかされたままになる。
本当は、別に、極端に隠す必要もないが、修行していることを、やたら吹聴する者が駄目であることは分かると思う。
関博士の指導で腕振り運動を続けた人達は、難病を奇跡的に治していたらしいが、関博士自身も、胃癌を医療にかからずに治してしまったらしい。
ただ、私は、関博士は、宗教で弱くなったのではと思う。
腕振り運動二千回は、楽な修行である。
もっと短期間で成果を上げる方法は、やはり、上にも述べたが、「アゴで使われる」「嫌いな人の機嫌を取る」である。
これらを常時やることは難しいが、出来るだけやるべきである。
あるいは、「黙る」「逆らわない」でも良いだろう。
甘やかされた心は必要な時に黙るのが嫌いだし、正しいことに逆らいたがるものだからだ。
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本物の成功法は、「これはやりたくないなあ」と感じるはずだ。
成功するために必要なことは、心を立派な子供や犬のように躾けることなのだから。
世間で人気のある成功法は、子供や犬を甘やかして駄目にするようなものばかりだ。
例えば、本物の成功法は、「アゴで使われる」、「嫌いな人の機嫌を取る」なのだ。
ベテランのホステスに人格者がよくいるのも、彼女達は必要な修行が出来ているからだ。
電波工学の世界的権威であった関英男博士は、彼を「オカルト科学者」という色眼鏡で見る雑誌記者ですら、「90歳を過ぎても聡明であること」、「人格者であること」は認めざるを得なかったという話がある。
その通り、90歳を過ぎても世界中を飛び回り、常に海外の論文を取り寄せて、熱心に研究をしていたようだ。
その関博士は、毎朝、腕振り運動二千回を欠かさなかったらしい。
おそらく、1年365日、1日もやらない日はなかったと思う。
これは、極めて根気が要ることである。
ある時期までは、心は、「昨日、忙しくて疲れているし」とか、「ちょっと風邪気味だし」などといって、今日はやめることを正当化し、休もうとするだろう。
だが、関博士は、そんな甘えた子供のような心に、「黙れ!わがままは許さん」「腕振り運動くらい、疲れていても出来るわい」とでも言って、決して休まなかったのだろう。
そうすれば、数ヶ月、数年と経つうちに、心は立派に成長し、自然に規律に従うようになる。
躾けられていない心は、規律に逆らおうとし、放埓(勝手気まま)に振舞おうとするのだ。
躾けられた心は、信念のある心である。
難しい問題に挑む時、「よし、やってやるぞ」と思っても、心が躾けられていないと、心は「無理だよ」と騒ぎ、「やめようよ」と主張する。
しかし、躾けられた心は、沈黙し、動かない。そうであれば、心は、宇宙エネルギーの通路になり、宇宙の無限の力と知恵が流入し、目的は達成される。
この際、大切なことは、イエスも言った通り、修行をしていることを黙っていることだ。
関博士のように、完成してしまえば、人々を指導する意味でも話して良い、あるいは、話すべきだが、そうでなければ、誰かに言うことで心は、「俺は立派だ」と思い上がり、甘やかされたままになる。
本当は、別に、極端に隠す必要もないが、修行していることを、やたら吹聴する者が駄目であることは分かると思う。
関博士の指導で腕振り運動を続けた人達は、難病を奇跡的に治していたらしいが、関博士自身も、胃癌を医療にかからずに治してしまったらしい。
ただ、私は、関博士は、宗教で弱くなったのではと思う。
腕振り運動二千回は、楽な修行である。
もっと短期間で成果を上げる方法は、やはり、上にも述べたが、「アゴで使われる」「嫌いな人の機嫌を取る」である。
これらを常時やることは難しいが、出来るだけやるべきである。
あるいは、「黙る」「逆らわない」でも良いだろう。
甘やかされた心は必要な時に黙るのが嫌いだし、正しいことに逆らいたがるものだからだ。
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コメントの掲載を有難うございました。
先日は長文になりすぎてしまうので書かなかったのですが、
「心が嫌がる方向に進む方が上手くいく」のは、自分も常々実感しています。
たまにお喋りしに行く精神科の先生も、同じことを話していました。
私は、自分の人生は運に助けられていると思うと話していたとき、「そう、結局は運なんです」と先生も頷かれ、「心が嫌だなぁと思う方向に行く方が結果的に上手くいっている」ことを伝えると、「その通りなんですよ!」と大肯定していましたね。
先生が仰っていたのは、「心が嫌だなぁというのは、凄く努力が必要な道と比較的楽な道があったら、必ず凄く努力する方向を選びなさいという根性論ではなく、“そっちに行ってもいいんだけど、あまり好きじゃない。気持ちはこっちに行きたい、こっちを選びたい”というときに、あえて行きたくない方を選ぶと良い」という説明でした。
第六感で稀にある「そっちに行ってはいけない」虫の知らせは、選んだらまずいですけど。
日常の中で、「なぁんとなく、そっちはやりたくないんだよな。気持ちは断然こっちがいいんだよな」というとき、心が嫌がる真逆の方向をあえて選ぶということです。
これは、kayさんが繰り返し伝えている、心を甘やかさない(自我を甘やかさない)に通じるのと同じで、自我を暴走させない方法なのでしょうね。
先生は、日本有数の歓楽街でお勤めする人たちを日頃から診察している経験から、「結局は運であり、運をよくするためには心が嫌がる方向へ進むことが肝心」と、答えを見出されたようです。
Kayさんが意図されていることと同じかなと思い、書いてみましたが、また長文ですみません。
コメントはこれにて失礼いたします。