宇宙の力を味方にするために必要なものは信念だけである。
合氣道家の藤平光一氏は、毎日、鏡に向かって、「お前は信念が強くなる」と言っていたそうだが、彼は元々、信念が強かったのだ。若い時から、とてつもなく修行を積んだのだから。
普通の人がそんなことをやっても、何の意味もない。

では、普通の人が信念を持つにはどうすれば良いかというと、心を、幼児や犬のように躾けるしかなく、そのためには、「心が嫌がることをする」しかないのである。
この「心が嫌がること」とは、「良いことだが、心は嫌がる」というものだ。
それには、心が執着するものを断つことを意味する「断ち物」が一番である。
グルメであれば美食を、酒に目がなければ酒を、ロリコンなら美少女を、完全に諦めることである。

ウラジミール・ナボコフの『ロリータ』という小説があり、スタンブリー・キューブリックらが映画化している。
ハンバートという名の中年の文学者、大学教授は、9歳から14歳の、自分好みの少女を「ニンフェット(小妖精)」と呼び、このニンフェットに激しい執着を持っていた。
それで、11歳のロリータという名の、見るからにニンフェットである少女を見つけ、彼女を得ようと、涙ぐましい喜劇的努力を演じる。
この小説から、「ロリコン」という言葉が出来たのである。
もし、ハンバートが、「ニンフェットは完全に諦めた。今後一切、手を出さない」と宣言すれば、彼の心は、激しく抵抗するだろう。
心は、「ニンフェットは宇宙の神秘」、「最高の芸術」などと、都合の良い理屈をつけてね。
しかし、それでも、ハンバートが、「心よ、私が主人だ、従え」と断固とした態度ではねつけ、鞭をふえるえば、心はいずれ従うだろう。
「汝敗れたり。我が後方に退けサタン」
サタンとは、心である。
すると、ハンバートは王になれるのである。
だが、『ロリータ』の中のハンバートはそうではなく、自分好みの美少女に執着し続けた変態、倒錯者であり、惨めな最後が待っていた。
さすが、ナボコフは、人間を、人生をよく知っている。

ロリコンなんて、良い位置にいると思う。
ロリコンをやめれば王になれるのだから。
だが、そうでなければ、忌み嫌われる惨めな変態として滅ぶしかない。

「ロリコン」のところは、各自、自分が執着する「ロクでもないもの」を当てはめれば良いだろう。
言うまでもないが、料理人が味に執着するという、良い執着と混同してはならない。
その違いとは、執着するものをリスペクト(尊敬)しているかどうかだ。
ハンバートのように、少女を性欲だけの対象にするのは、全く、敬っていることにならない。
そこにいくと、私は初音ミクさんを、女神のごとく敬っている。
まあ、そこらの判断は、各自ですれば良いことである。









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