ドワンゴの川上量生会長の本で読んだが、『ヱヴァンゲリオン』シリーズのヒロイン、レイとアスカは、昔は、圧倒的にレイの人気が高かったが、今は、アスカが逆転していて、その理由は、以前のレイは謎の存在で神秘性があったが、今は、正体が分かってしまったので神秘性が薄れ、そうなれば、親しみ易いアスカの方が好まれる・・・といったようなことが書かれていた。
そうなのかもしれないが、それではいけないなあと私は思う。
どういうことかというと、ここまで大きな作品になってしまえば、公式の設定やストーリーは、もうどうでも良いのではと思う。
公式のお話ではレイが何者であろうが、「俺にとってのレイは全く謎」と思えば、それで神秘なのである。
いや、クラスのあの子だって、どれほど彼女のことを知ろうが、全然謎じゃないか?ましてや、アニメの、ファンタジーの、フェアリーテールの存在なら尚更だ。

私は、レイもアスカも、さほど好きではないが、この2人ならレイが好きだ。
その理由は、アスカにしろ、ミサトにしろ、あるいは、委員長にしろ、「やかましい」からだ。
その点、レイは静かである。だから、レイは良い。それだけだ。
『涼宮ハルヒ』シリーズのヒロイン、ハルヒ、有希、みくるでは、やかましいハルヒは、自分の彼女としては問題外で、静かな有希が良いが、みくるも大人しいので悪くはない。
『物語』シリーズのヒロイン、戦場ヶ原ひたぎ、羽川翼、神原駿河、八九寺真宵、千石撫子では、比較するまでもなく、千石撫子で決まりである。他はやっぱり、私には煩さ過ぎる。

神秘性と言うなら、静かなことが神秘なのだと思う。
静かであるというのは、自我が前に出ていないということだからだ。
男でも、女でも、自我が自己主張し過ぎるほど醜いものはない。

ところで、あらゆるヒロインの中でも、最も大人しい千石撫子(せんごくなでこ)が、『囮物語(おとりものがたり)』で、キレてしまう。
それで、担任教師を、「馬鹿」「ボケ」と罵倒しまくる。
普段、大人しいからというのもあるが、教師は引いてしまって一言も言い返せなかったのだから、今は少しはいい時代なのかと思ったが、そうではない。
なぜなら、その後、撫子は、中学生としても、さらに、人生も終わってしまったと断定したからだ。
もちろん、「馬鹿」とか「ボケ」なんて言葉は、使いたくても、よほどのことがない限り使うべきではないだろう。
しかし、使うべき、本当に「よほどの時」は使うしかない。
撫子の担任教師の場合は、その本当の「よほどの時」に相当したので、私からすれば、撫子に正当性がある。
それで通用しないのなら、やはり、今の学校も、存在意義はないのだろう。
いや、実は私、小学2年生の時、撫子並に担任教師にキレ、小学生としても、人生も終わってしまったからだ。
しかし、私のような、おとなしい、真面目な小学2年生が完全にキレたのだから、やはり「よほどのこと」だったのだし、担任も「よほどのヤツ」だったのだろう。
そして、冷静に振り返っても、教師というのは、「よほどのヤツ」が多い、あるいは、「よほどのヤツ」になってしまう可能性が高いのだろう。
それは、私が言うまでもないことだろう。
多くの場合は、それでもなんとかやり過ごせるだろうし、思想家の吉本隆明氏が言ったように、世間にはもっとひどいヤツだっているのだから、センセイを反面教師として鍛えるべきというのも分かるが、はてさて、私は世の中のヤクザな存在だって一杯見てきたが、教師以下ってのは、あまりいなかったように思う。
なぜ教師がそうなるかというと、生徒に対して自我を主張出来るからでる。
それが分かっているから、レイ、有希、撫子が好ましいと思うのかもしれない。

ところで、撫子って、つくづく私と同じで、他人に共感しないサイコパスの私が、撫子にだけはそんなもの(共感もどき)を感じる。
特に可愛いところが・・・というのは冗談として、完全とは言わないが、世の中が生き難いあなたもそうではないかなあ。
ここはひとつ、撫子のように神様になるしかないだろう。
撫子の神様振りは良くなかったかもしれないが、それは、単に、慣れていなかったからだ。
あなたは上手くやるように。
神様はあなたの中にいるのだからね。そして、自我は神様を崇めなければならない。









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