「仕事は出来ないが給料が高い40代、50代社員がいる」なんて話がよくある。
中には、本当にそんなこともあるかもしれないが、大抵の場合、それは、若い人の勘違いだし、そんな勘違いをしている「本当に仕事が出来ない若い人」ほど、そんなことを言うのだと思う。
20年、30年、「普通に仕事をしていれば」、知恵があるので、若い者など太刀打ち出来ない。
しかし、若い時に、「部長課長らは、仕事をしていないのに高い給料を取っている上、俺達若い者に対し傲慢だ」と言う者ほど、「本当に仕事をしない中高年」になる。
なぜかというと、簡単なことで、知恵っていうのは、それなりに知恵がないと、見ても分からない。
まず、自分以外の人間の知恵を見ようとするのが知恵なのであり、それは謙虚でないと出来ないことだ。
それなのに、「課長より俺の方が仕事が出来る」なんて傲慢かつ思い違いをしているような者に知恵は得られない。
そんな者が歳を取っても知恵がついておらず、「本当に仕事が出来ない中高年」になる。

ドワンゴ会長の川上量生氏の本で読んだが、川上氏が若くてサラリーマンをしていた時、仕事が出来ない課長がいたらしい。
川上氏は、「あんな課長クビだ」と、堂々と声を上げていたが、そうしたら、社長に呼び出され、尋常ならざるほど怒られたらしい。
川上氏は、怒られた理由が分からず、社長に対し、反論すらしたらしいが、社長は、「あいつにだって生活がある」みたいなことを言ったという。
それだけ見れば、温情ある社長という感じだが、私は、川上氏が「仕事が出来ない」という課長は、いなくてはならない人だったのだと思うのだ。
でないと、単なる社長の温情で、そこに居続けることなんか出来ない。
川上氏も社長に怒られて何かを得たのだろうし、社長だって、才能を感じる川上氏だから怒ったのであり、別の「単なる若いもん」なら本気では怒らなかったに違いない。
ただね、川上氏がいくら優秀でも、若い川上氏に、そこまで言われるということは、その課長には、貫禄というか存在感がなかったのも確かだ。
そんな人は、是非、エイミー・カディの本を読み、パワーポーズを実践することをお奨めする。

どうすれば仕事が出来るようになるかというと、「自分が仕事をしている」という感覚を失くすことだ。
インドの聖者ラマナ・マハルシがこんなことを言っていたのが参考になる。
責任感を持って、注意深く仕事をしている財務長官。
大きな目標を達成しつつある事業家。
こういった、有能で、熱心に働いている者達は、自分が仕事をしているとは感じていない。
仕事が勝手に進んでいくのであり、自分は何もしていない。
ある意味、彼らは夢遊病患者のようなものだ。

だが、そうなるためには、精神が進化していなければならない。
しかし、それは難しいことではない。
自分より高い存在に意識を向け、自我が退けば良いのである。
ただ、マハルシだって、「簡単だ」と言いながら、極めて難しいことを教えた。
道元は、それを易しく出来るよう、座禅を教えたが、やっぱり難しかった。
それで、法然は念仏を教えたが、これは簡単過ぎたので、ちょっと豊かな人はやりたがらない。
『歎異抄』を読んで、ただ念仏を称えれば、意識は高い存在に向き、自然に自我は退くだろう。









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