何かの行を(例えば念仏を)続けていたら、やがて悪魔の誘惑に遭う。
まあ、一応悪魔の・・・と言うが、必ずしもそう言うべきではないかもしれない。
それは、超人への招待である。
当たり前の人間として神仏に守られて生きるか、自分で何でも出来る超人になり神仏を拒否するかだ。
ゲーテとニーチェはその誘惑を受け、ゲーテは人間の道を、ニーチェは超人の道を選んだ。
そのあたりの事情は、ゲーテは『ファウスト』、ニーチェは『ツァラトゥストラはこう語った』に書いている。
それぞれ、フランツ・リストとリヒャルト・シュトラウスが、『ファウスト交響曲』、交響詩『ツァラトゥストラはこう語った』で音楽化しているが、よく感じが出ている。
交響詩『ツァラトゥストラはこう語った』の導入部(第1部)は、映画『2001年宇宙の旅』に使われているので、馴染みのある人が多いと思う。
超人になる道を選んだとて、別にニーチェのように発狂する訳ではない。
ニーチェは迷いがあったのだろうと思う。
超人になるなら、素直に超人になるべきだったろう。
ファウストも初めは当然、超人の道を行き、神を目指して努力していた。
そこへ悪魔がやってくるが、それは神も承知のことだった。
ツァラトゥストラ型・・・つまり超人が歴史に名を残す。
ナポレオンやヒトラーもそうだったが、ナポレオンはやや弱く、ヒトラーはとても弱かった。
超人は心が強くなければ、最後は悲惨だ。
超人はどこまでも自由だ。
善悪は何の関係もない。
だが、普通の人間にとって、完全な自由ほど恐ろしいものはない。
それでも、あえてそれを選ぶのを止めるべきではない。
それを選べるほどの者であれば、本来は超人の資格があるのだからだ。
イエスは普通の人間だが、超人に見える。
これはよくあることだ。
ラマナ・マハルシは、「イエスは自分が超能力を使っているという自覚がなかった」と言っていたが、彼は見透かしていたのかもしれない。
復活後のイエスは別人だ・・・などと言ったら、キリスト教徒に怒られるかもしれないが、よく分かっているキリスト教徒なら、案外に、「それはそうだよ」と言うかもしれない。
まあ、新約聖書を読めば分かるが、イエスに近しかった人達も、復活後のイエスを見て、それが誰だか分からなかったのだ。
ファウストは、初めに悪魔に魂を売ったのではない。
「俺の心が折れたら、お前に魂をやる」と悪魔に言っただけだ。
ナポレオンもヒトラーも折れてしまった。
もちろん、ナポレオンは粘ったが、多分、やっぱり駄目だったのだ。
涼宮ハルヒは超人の道を選び、佐々木はヒトの道を選んだとも言える。
そう御大層なことではないが、気の迷いで選ばないことだ。
『傷物語』で、阿良々木暦君は、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードに「闇の世界にようこそ」と言われたが、人間に戻りたがった。
まあ、それで、ちょっと変な人になったが、それもご愛嬌である。
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まあ、一応悪魔の・・・と言うが、必ずしもそう言うべきではないかもしれない。
それは、超人への招待である。
当たり前の人間として神仏に守られて生きるか、自分で何でも出来る超人になり神仏を拒否するかだ。
ゲーテとニーチェはその誘惑を受け、ゲーテは人間の道を、ニーチェは超人の道を選んだ。
そのあたりの事情は、ゲーテは『ファウスト』、ニーチェは『ツァラトゥストラはこう語った』に書いている。
それぞれ、フランツ・リストとリヒャルト・シュトラウスが、『ファウスト交響曲』、交響詩『ツァラトゥストラはこう語った』で音楽化しているが、よく感じが出ている。
交響詩『ツァラトゥストラはこう語った』の導入部(第1部)は、映画『2001年宇宙の旅』に使われているので、馴染みのある人が多いと思う。
超人になる道を選んだとて、別にニーチェのように発狂する訳ではない。
ニーチェは迷いがあったのだろうと思う。
超人になるなら、素直に超人になるべきだったろう。
ファウストも初めは当然、超人の道を行き、神を目指して努力していた。
そこへ悪魔がやってくるが、それは神も承知のことだった。
ツァラトゥストラ型・・・つまり超人が歴史に名を残す。
ナポレオンやヒトラーもそうだったが、ナポレオンはやや弱く、ヒトラーはとても弱かった。
超人は心が強くなければ、最後は悲惨だ。
超人はどこまでも自由だ。
善悪は何の関係もない。
だが、普通の人間にとって、完全な自由ほど恐ろしいものはない。
それでも、あえてそれを選ぶのを止めるべきではない。
それを選べるほどの者であれば、本来は超人の資格があるのだからだ。
イエスは普通の人間だが、超人に見える。
これはよくあることだ。
ラマナ・マハルシは、「イエスは自分が超能力を使っているという自覚がなかった」と言っていたが、彼は見透かしていたのかもしれない。
復活後のイエスは別人だ・・・などと言ったら、キリスト教徒に怒られるかもしれないが、よく分かっているキリスト教徒なら、案外に、「それはそうだよ」と言うかもしれない。
まあ、新約聖書を読めば分かるが、イエスに近しかった人達も、復活後のイエスを見て、それが誰だか分からなかったのだ。
ファウストは、初めに悪魔に魂を売ったのではない。
「俺の心が折れたら、お前に魂をやる」と悪魔に言っただけだ。
ナポレオンもヒトラーも折れてしまった。
もちろん、ナポレオンは粘ったが、多分、やっぱり駄目だったのだ。
涼宮ハルヒは超人の道を選び、佐々木はヒトの道を選んだとも言える。
そう御大層なことではないが、気の迷いで選ばないことだ。
『傷物語』で、阿良々木暦君は、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードに「闇の世界にようこそ」と言われたが、人間に戻りたがった。
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