気の多いやつは上手くいかない・・・というのは、恋愛に限らず、全てそうだ。
能力開発マニアみたいな人が時々いて、ヨガ、仙道、速読、速聴、NLP(神経言語プログラミング)、TM(超越瞑想)、SMI、ナポレオン・ヒル・・・何でもやっているが、それで能力が物凄く高いかというと、それは全くない。対して、何か1つに徹している人は大きな効果を得ている。
社長さんの書棚を見ると、自己実現に関する本は必ずあるものだが、それが1冊の社長さんは、かなり成功しており、2~3冊でも、まずますという場合はあるが、それより多い社長さんは、まずいない(その方面が商売の場合は別だが)。

人間の最も高度な能力とは「選択」であり、選択とは、「優れたものを取る」ことであると共に、「劣ったものを捨てる」ことだ。
そして、「取る」ことは出来ても、「捨てる」ことが出来ない人が多い。
取ったまま捨てない・・・手放さない人が成功することはない。

昔から、世界のどこにでも、「3つの願いを叶えてくれる」魔法のアイテムの話がある。
アイテムを得るのは凡人で、必ず、不幸な結果に終わる。
もし、主人公が、1つで満足出来る賢い人だったら、悪い結末にはならなかったのだ。

1つを選べる者は強い。
プロレス史上最高のレスラー、ルー・テーズの技と言えばバックドロップがよく知られているが、本人は「ただ1つと問われたら、迷わず、ダブル・リストロックを上げる」と言った。
その言葉に私は憧れるのだ。

法然は、「釈迦は全ての教えを捨て、ただ1つ念仏を残した」と言った。
そして、寺院に仏像を礼拝するとか、お経を読むとか、善い行いをする等を助行として、悪くはないが、あくまで二次的なものとした。
さらに、修行をするとか、寺を建てる、学問を積む等は、雑行として、むしろ、しない方が良いとした。
大切なことは、念仏だけであり、念仏を選び、その他は全て捨てるべしと教えたのだと思う。
法然の選択は、往生のため・・・つまり、死後、極楽浄土に行くためという色彩が強かったが、弟子の親鸞や、元々宗派は違ったが、最後はやはり念仏を取った一休らは、あらゆる問題に対し、念仏を唯一絶対の力として選択したと言っても良いのではないかと思う。

念仏だけを選んだからといって、何もしない訳ではないが、しなくても良い。
念仏により、意識を自我より高い存在に向けていれば、やるべきことなら勝手にやるし、考えるべきことは勝手に考えて、うまくいく。
自我が考え、行動するのではなく、仏が考え、行動するのだからだ。

「岡田式静坐法」で知られた岡田虎二郎の弟子で、日本航空社長や日銀副総裁その他を歴任した柳田誠二郎氏は、若い人達に、
「心を締める鍵を1つ持ちなさい。私の場合は、たまたま、岡田虎二郎先生に教わった静坐だった」
と言われたそうだ。
柳田氏は、難病に陥った時、事業のピンチの時など、ただひたすら静坐し、全てに打ち勝ち、百歳を過ぎても静坐を続けた。
柳田氏は、念仏という選択も、もちろんあると言われていたと思う。

あなたは、ただ1つを選べるだろうか?
2つなら失敗、1つなら成功である。









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