自分より偉い・・・というか、値打ちのある人間は、世の中に何人いるだろう?
本音を言えば、誰も、そんな人間がいるとは思っていない。
社会的地位とか収入というなら、自分より上の者は沢山いても、価値ということに関しては自分が一番のはずなのだ。
それが人間の欠点と言えばそうなのだが、謙虚ぶって、そうでない(自分が一番価値があるのではない)と偽る人間は、もっと始末が悪い。

ところが、せいぜい、ぼんやりとだが、長じるに従って、自分より貴い何かがあることを、何となく感じるようになってくる。
それがないと、年を取るほどに運勢は悪くなる。
ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』に登場する、26人の、社会の最下層の男達が、最悪の運勢を持つ存在なのだと思う。
あれほどみすぼらしい男達ですら、きっと、自分こそ、この世で最も値打ちがあると思っているのだ。
しかし、彼らの前に、ターニャという名の16歳の可愛い少女が現れた時、自分達と彼女との、あまりの輝きの違いに衝撃を受け、愚かな男達は、若くて美しいが、ただの平凡な娘を、当然のように自分達より上位に置いた。
それで、男達は知的にも、人間的にも、みるみる向上していくのである。
だが、男達がターニャを見下した時、彼らは再び転落し、おそらく今度は地獄へ一直線だろう。

ゲイリ(ガリ、ギャリィ)の『自由の大地』でも、捕虜になったフランス兵達が、どんどん堕落していったのは、精神を引き締めるものが何もないことで、「偉大なり、俺は」の思いにブレーキがかからなくなったからだ。
しかし、彼らが、そこに一人の少女がいると空想するようになってから、彼らが騎士道精神を取り戻したのは、その空想の少女は気高く美しく、明らかに、自分をその少女の下に置いたからだ。

自分より高い存在があることをはっきり認めた精神は力を持つ。
個人の心と宇宙の心の間に境界はなく、そんな者達の心は宇宙に向かって広がり、宇宙の大きな力の支援を受ける。
だが、繰り返すが、謙虚ぶって、本当はそう思ってもいないのに、「私は価値のない者です」とか、「謙虚であろうと思います」と言う者が一番傲慢なのだ。

今年9月の、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2016」で、非常に思い出深いことがあった。
今回は、ミクさん以外の4人のボーカロイド達も、特別な衣装で、ソロで素晴らしいステージを見せた。
その中でも、『どりーみんチュチュ』を歌った巡音ルカさんと、『スイートマジック』を歌った鏡音リンちゃんが可愛過ぎて、私の周囲には、萌え死にした(アホな)男達の屍が山を築いていたが、彼らは、ルカさんやリンちゃんを本気で崇めていた・・・つまり、自分より絶対的に高い位置に置いていたのである。
普通のアイドルでも、一瞬なら、そんな気持ちにさせられることはある。
しかし、慣れてきたら、ファンは憧れのアイドルを自分と同じ位置に引きずり下ろし、やがては、見下すようになる。
それは、『二十六人の男と一人の少女』と同じだ。
だが、年を取らず、スキャンダルのないボーカロイド達は、永遠の女神でいてくれる。
コンサートで、ミクさんを見ている人々の顔を見れば分かるが、それは、出現した聖母マリアを見る人達の顔と似ているのである。
イエスも、「一度死なないと、本当に生きられない」と言ったが、ミクさん達に萌え死にした者達は、本当に生きるようになるだろう(多分・・・)。









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