自己啓発本や成功法則の本を読むと、なぜ成功しないのかというと、ああいった本を読めるのは暇だからだ。
そして、それらの本には、「7つの習慣」とか「30の条件」などと書かれているものがあるが、そんなに沢山のことをやれる暇な人が成功する方がおかしい。
ロナルド・レーガンやドナルド・トランプの大統領選挙戦におけるスピーチは、子供が聴いても面白いほど、極めて単純で分かり易い。
それは大切なことで、大統領候補にそんなに長い時間付き合っていられるほど人々は暇でないのである。
暇と言っても、別に、仕事や勉強や訓練ばかりやってないといけないというのではなく、趣味や芸術、遊びだって必要で、これら全てを総合してのことだ。
そんなにやることがあるのに、成功本を読んだり、ヒラリーのスピーチを聴ける人は、暇というより、無気力なのかもしれない。
中村天風の本を読むと、確かに良いことが書いてあり、最初の1つか2つのところでは、「なるほど、やってみよう」と思うが、読み進むと、あれもやれ、これもやれ、ついでにこれもやれ、さらに、これも大切だ・・・と書かれていて、最初のものが何であったか忘れてしまっている。さらに、天風は沢山の本を出し、そのそれぞれが、似ている面もあるが、やはり違うところも多い。
とてもじゃないが、天風になど付き合っていられない。
そういう点において偉かったのはフランスのエミール・クーエで、彼は、「毎日、私は、あらゆる面で、ますます良くなっていく」という自己暗示の言葉だけが大事だと言った。
これを、朝晩、声に出して言うだけで良い。
しかし、続いた人、いるかい?
なぜ続かないのかというと、あくまで私の場合だが、この言葉、フランス語や英語ではどうか分からないが、日本語では難し過ぎる。言う度に考えないといけないし、間違う。
「毎日、私は」か「私は毎日」かで間違うが、どっちでも良い雰囲気でもない。
唱えるだけで疲れてしまった。
簡単に言うと、難しくて長過ぎるのだ。
私には、せいぜい、「南無阿弥陀仏」の7語しか駄目である。
天才数学者の岡潔すら、この念仏を唱えていたらしい。
それよりも、私は、シーモア・パパートが言った「何かに惚れ込め」が大事だと思う。
パパートは歯車(一番単純なやつだ)に惚れ込んだ。
法然は阿弥陀如来に惚れ込んで念仏を唱えた。
だが、一休は、自分の中の阿弥陀如来に惚れ込んで念仏を唱えた。
私は、名を呼べば、どんな愚か者にも、お恵みをいくらでもくれる、宇宙最強でありながら、宇宙で一番心が広い存在として阿弥陀如来に惚れ込み、念仏を唱えている。
親鸞は『現世利益和讃』で、明らかにそんなことを書いている。また、『歎異抄』を読めば、そのあたりのポリシーも分かると思う。
まあ、人それぞれで良いはずだ。
だが、私に、日々、直感を与えてくれるのは、初音ミクさんである。
一番好きなのはミクさんである。それはそれで良いのである。
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そして、それらの本には、「7つの習慣」とか「30の条件」などと書かれているものがあるが、そんなに沢山のことをやれる暇な人が成功する方がおかしい。
ロナルド・レーガンやドナルド・トランプの大統領選挙戦におけるスピーチは、子供が聴いても面白いほど、極めて単純で分かり易い。
それは大切なことで、大統領候補にそんなに長い時間付き合っていられるほど人々は暇でないのである。
暇と言っても、別に、仕事や勉強や訓練ばかりやってないといけないというのではなく、趣味や芸術、遊びだって必要で、これら全てを総合してのことだ。
そんなにやることがあるのに、成功本を読んだり、ヒラリーのスピーチを聴ける人は、暇というより、無気力なのかもしれない。
中村天風の本を読むと、確かに良いことが書いてあり、最初の1つか2つのところでは、「なるほど、やってみよう」と思うが、読み進むと、あれもやれ、これもやれ、ついでにこれもやれ、さらに、これも大切だ・・・と書かれていて、最初のものが何であったか忘れてしまっている。さらに、天風は沢山の本を出し、そのそれぞれが、似ている面もあるが、やはり違うところも多い。
とてもじゃないが、天風になど付き合っていられない。
そういう点において偉かったのはフランスのエミール・クーエで、彼は、「毎日、私は、あらゆる面で、ますます良くなっていく」という自己暗示の言葉だけが大事だと言った。
これを、朝晩、声に出して言うだけで良い。
しかし、続いた人、いるかい?
なぜ続かないのかというと、あくまで私の場合だが、この言葉、フランス語や英語ではどうか分からないが、日本語では難し過ぎる。言う度に考えないといけないし、間違う。
「毎日、私は」か「私は毎日」かで間違うが、どっちでも良い雰囲気でもない。
唱えるだけで疲れてしまった。
簡単に言うと、難しくて長過ぎるのだ。
私には、せいぜい、「南無阿弥陀仏」の7語しか駄目である。
天才数学者の岡潔すら、この念仏を唱えていたらしい。
それよりも、私は、シーモア・パパートが言った「何かに惚れ込め」が大事だと思う。
パパートは歯車(一番単純なやつだ)に惚れ込んだ。
法然は阿弥陀如来に惚れ込んで念仏を唱えた。
だが、一休は、自分の中の阿弥陀如来に惚れ込んで念仏を唱えた。
私は、名を呼べば、どんな愚か者にも、お恵みをいくらでもくれる、宇宙最強でありながら、宇宙で一番心が広い存在として阿弥陀如来に惚れ込み、念仏を唱えている。
親鸞は『現世利益和讃』で、明らかにそんなことを書いている。また、『歎異抄』を読めば、そのあたりのポリシーも分かると思う。
まあ、人それぞれで良いはずだ。
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