死ぬと分かっているのに、なぜ生きるのか?
そんなことを考えたことがあるかもしれない。
ひろさちやさんという仏教学者や、岸田秀さんという心理学者が、「人生に目的なんてありません」なんて、分かったようなことを言っていたような気がするが、それでは、答になっていない。

答は決まっている。
「なぜ生きるか?」
「脳にそうプログラミングされている」

パソコンの画面に「初音ミク」と10回表示された時、パソコンに対して「なぜ、そんなことをする?」と尋ねても、パソコンは、「そうプログラミングされてるんです」としか答えられない。
それと同じだ。
『荒野の七人』という映画で、ガンマンの誰かが、こんな思い出話をしたと思う。
「ある男が、裸でサボテンの中に飛び込んだ。なぜそんなことをしたのかと尋ねたら、その時はそれで良いと思ったんだそうだ」
子供の時にそれを見た私は、この言葉が非常に印象的だったが、意味は分からなかった。
しかし、今は分かる。
その男は、そうするよう、脳にプログラミングされていたのだ。
言い換えれば、彼は、プログラミングに従って行動しただけで、意図や目的があった訳ではない。

生きる意味が何かなんて、決して分からない。
それなのに、霊が永遠に生きるとか、死後の世界とか、転生といった想像をして、生きる意味を突き止めたいと思った人がいた。
そして、そういった話が人々に強い関心を起こさせることが出来ると気付いた人が、宗教というビジネスを思いついたのである。

自殺というのは、脳のプログラミングに逆らうことであるから、実行には強い意思力が必要になる。
しかし、それだって、プログラミングの中にある、生きることを放棄するための条件(生存の例外条件)に合致したというだけのことなのだ。

動物を見れば分かるように、本能としては、同一種族を殺さないようプログラミングされている(飢餓の際に共食いするという例外がプログラミングされている場合もある)。
人間だって、人間を殺さないようプログラミングされている。
しかし、人間は、知性と感情が合体した意思が、本能を抑えることがある。
それで、殺人を行う。
ところで昔、何の企画だったか知らないが、「なぜ殺してはいけないのか?」という問いに対し、著名人に答えさたことがあった。
阿呆な答ばかりで、知識人として知られる人々も、本当は知恵がないことが暴露された。
答はただ1つだ。
「殺さない方がお得だから」である。
頭が良ければ、結局は、殺人は損だということが理解出来るのである。
得だと思うのは、考えが足りない、つまり、馬鹿だからだ。
IQが高ければ高いほど、殺人が割に合わないことを理解出来るだろう。
もっとも、損と知りつつ、いろんな理由で殺す人もいるのであるが。









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