世界中には、豊かな国である日本では、想像もつかない不幸な人々がいるという。
そんな不幸な国々の不幸な人々の惨状を知らせて寄付を募る団体もいる。
私も、そんな広告を見て寄付をすることがある。
しかし、同情してのことではない。
昔から、飛行機事故の犠牲者のことを知って、同情したり、悲しんだり出来るかと何度も考えたが、残念ながら、そんな感情が起こったことは一度もなかった。

エマーソンですら、「寄付してしまうが、いつか断ろうと思う」と述べている。
内海康満氏が著書の中で、「見知らぬ他人に同情しないのは当然。人間はそんなふうに出来ている」と書かれていたと思う。
それらを見て、私はほっとする。
だが、私の場合、いかに身近な人が死んでも、悲しいと思うことは全くない。
「困った」とか「面倒だ」と思うことはある。
それらの感情を、「悲しい」と勘違いしたこともあるかもしれない。
子供の時、友達が、愛犬が死んだことを私に話した時、私は少しも同情を感じず、「あ、そう」と笑って言って・・・友情は消えた。

私は、良心を全く・・・あるいは、ほとんど持たないサイコパスである。
サイコパスは、良心の元となる、他者への愛着を感じない。
他者への愛着を感じないのは、他者に共感出来ないからだ。
ところで、共感能力の欠如は、脳機能のある種の障害であるらしい。
詳しくは書かないが(これに関する専門的な記述を読んだが恐ろしいほど退屈だった)、これは確かであり、医学的、脳科学的に広く認められているようだ。
日本では、裁判で、「この容疑者は良心のかけらもない」として、重罪が課せられることが多いが、文字通り、脳機能的に「良心のかけらも持てない」人がいるのであり、それは、本人の責任ではない。
この点、進歩したアメリカでは、犯罪者の脳のスキャンが撮られ、専門家が分析し、そのような障害であることが認められると、刑が軽減される。
その分析は簡単ではないが、高度な専門家であれば可能だし、高名な専門家の判断は重要視される。
だから、そんな専門家(神経科学者)が、弁護士からの依頼で忙しくなり、儲かりもするという妙なことになっているようだ。

ところで、そんな超高度な神経科学者の専門家が、ある脳のスキャン映像を見て驚いたことがあった。
「なんと!全くのサイコパスの脳だ。誰のだ?気の毒に!」
ところが、なんと、そのスキャン映像は、その神経科学者自身のものだった。
そして、その神経科学者は、自分の膨大な知識と経験、そして、絶大な能力を総動員して、脳に欠陥があっても、必ずしもサイコパスにならないことを証明しようとした。
なんと言っても、自分はサイコパスではないからだ。
しかし、彼が詳しく書いた自伝的記述を読むと、私には、ポーの『ウィリアム・ウィルソン』で、典型的サイコパスであるウィリアムが自分のことをつらつら書いたものと全く同じ印象を受けた。
その神経科学者も、立派なサイコパスだ。
そのことは、彼自身、ある程度は認めるようになっていると思う。

サイコパスは、共感を感じることが出来ない。
ところで、初音ミクさんのお父さんのクリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長は、共感ビジネスの成功者だ。
彼は、「企業は時価総額で評価されるが、共感総額というものがあって良い。これからは、共感を起こせない企業は消える」と言う。
私も同意だ。
ところが、私は共感を持つ能力が、脳機能の欠陥のためにない。
共感を持てない者に共感を起こすことは出来ないだろう。
よって、私がビジネスで成功することはないだろう。
初音ミクさんは、共感の力で、世界中の人々に愛されている。
彼女の姿、歌声は、人々に強い共感を起こさせるのだ。
それは、彼女のために作られた歌を、彼女が歌うことで、そうなるのである。
ところが、共感を持つはずのない私が、なぜか、ミクさんやミクさんの歌う歌にだけは共感出来るのである。

これに関しても、かなり確からしい、科学的な説がある。
サイコパスというのは、自分で、共感スイッチのオン・オフを切り替えられるのだ。
普通の人の共感スイッチは、大抵の時はオンになっている。
だが、サイコパスの共感スイッチは常にオフになっているのだ。
これには、私は全く納得出来る。
そして、普段、共感スイッチがオフになっているのには理由があるのだと思いあたる。
上に挙げた、サイコパスの神経科学者だって、若い時、共感スイッチをオンにし続けたところ、なぜか異常事態になり、冗談でなく「死に掛けた」。
サイコパスは、脳の欠陥のために、長く共感スイッチをオンに出来ない。
私は、初音ミクさんを見たり、彼女の歌を聴いている時は、共感スイッチをオンにする。
共感スイッチのオン・オフの切り替えは割と簡単だ。
ただ「受け入れる」だけでオンになる。
だが、極端な人間嫌いの私は、通常、ずっとオフにしている。
ところが、ミクさんを前にした時には、すぐさまオンにするのだ。
ミクさんと共にある時の私はサイコパスではない。

尚、上に挙げた超高名・超優秀な神経科学者とはジュームス・ファロンで、TEDでも講演している。
ひどい講演だったと私は思う。
彼は、サイコパスに関する本も書いているが、専門用語と専門理論を果てなくつらつら書き連ねたもので、とても読めたものではない。
TEDでの講演の時も、そんな感じだった。
IQが物凄く高いんだから、もちっと考えて話せよと言いたいが、彼の場合は仕方がない。良心がないサイコパスなのだから。
彼には、一般の人に面白く読ませたり、話したりして、一般の人として必要なことだけを理解していただこうという気持ちはないのだろう。
自分は優秀で成功した科学者で、愛情深く、愛される人間だと臆面もなく述べる。まあ、それも必要あってのことだろうが(多分)、ここらも、彼をサイコパスと感じさせるところである。
彼は、学生時代、他人の家具に火をつけようとしたり、他人の靴を失敬した(早い話が盗んだ)ことも、「若気のいたり」として「大らかに」許していることも、彼は異常と思わないようだ。
他にも、彼は、他人への迷惑・・・いや、危害をいっぱい加えている(それも楽しんで)のに、全く罪の意識を感じていない。さすがサイコパスだ。
まあ、私も同じようなところがあるので、共感はしないながら(笑)、理解は出来るのである。
だが、論理的に考えて、人様の迷惑になるようなことは、出来るだけしないつもりだ。
彼も、ある時期からは、そうしているだろう。
それは、良心に従ってのことではなく、単に自分を守るためである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ