良心を持たない人間であるサイコパスが英雄になることもある。
いや、ある状況下では、優秀なサイコパスは英雄だ。
それは、戦争時である。
そして、戦争時は、それほど優秀でないサイコパスでも、英雄とは言わないが、「エリート」になれる。
戦争時、国家は、サイコパスを「喉から手が出るほど」欲しがるのだ。
良心の呵責なく、人を殺し、騙し、拷問が出来るサイコパスほど、戦争時の国家にとって有り難いものはない。
だが、戦争時にサイコパスが有能であるのは、当たり前で、あまり面白くもない話なので、それは、この程度にしておく。

次に、サイコパスは、小説の、異様ではあるが、魅力的なヒーロー、ヒロインになるというお話をしよう。
サイコパスが主人公の名作小説は意外に多いかもしれない。
その中でも、私が傑作中の傑作として思い浮かべるのは、エドガー・アラン・ポー(アメリカ)の『ウィリアム・ウィルソン』と、アルベール・カミュ(フランス)の『異邦人』だ。

『ウィリアム・ウィルソン』の、一人称「私は」「僕は」で語る主人公ウィリアム・ウィルソンが、良心を全く持たないサイコパスであることに異論を唱える者はあるまい。
いや、ポーは、サイコパスという名称は知らなくても、ウィリアム・ウィルソンを、まさに、サイコパスとして書いたのだ。
それは当然で、ウィリアム・ウィルソンは2人であって1人であり、主人公とは別のウィリアム・ウィルソンは、主人公の良心なのだからだ。
なんとも凄まじいポーの想像力、発想力、思考力であることか。
人でなしの主人公ウィリアム・ウィルソンが、子供の時に過ごした町を「懐かしく」思い浮かべる時、「友情」とか、「憧れ」という言葉を使う時・・・それは、極めて稀であるが、読者は「ほっとする」かもしれない。
「ああ、ウィルソンも人間なんだ」
と感じるからだ。
だが、きっとそれは、ウィルソンが、「人間の真似をして」そう言っているに過ぎない。
そして、きっと、ポー自身がサイコパスだ。
ポーは、26歳の時、13歳なったばかりののヴァージニアと結婚したが(結婚誓約書ではヴァージニアは21歳であるとされた)、飲んだ暮れのポーは、ヴァージニアを病死させている。
ストーブに入れる薪を買う金もなく、代わりに、ヴァージニアのベッドに猫を入れたことをヒントに書いたのが『黒猫』だったといわれる。
ポーは、アルコールが入ると天才になった。
そして、酒場で死んだ(正確には酒場で倒れ、病院に担ぎ込まれて死んだ)。
尚、『ウィリアム・ウィルソン』は、ルイ・マル監督によって映画化され(『世にも怪奇な物語』の3編中の1編として)、アラン・ドロンが見事に好演している。ブリジッド・バルドーも出演した、何とも豪華な映画だ。
アラン・ドロンって、見るからにサイコパスだが、まあ、それは異論の方が多かろう。

アルベール・カミュがノーベル文学賞を取ったのは、短編の『異邦人』によるところが大きいといわれる。
その『異邦人』の主人公ムルソーは、間違いなくサイコパスだが、とても魅力的な主人公であることは、多くの人が認めている。
そして、サイコパスは魅力的であることが多い。
『異邦人』は、「今日、ママが死んだ。いや、昨日だったかもしれない」で始まる。
ムルソーには、母の死は興味がなかった。
ただ、葬儀を行う・・・いや、「出る」のが煩わしかった(葬儀一切は養老院でやってくれた)。
しかし、ムルソーは、「ママのことは多分、好きだった」と語る。
ムルソーのサイコパスらしさをよく示している場面がある。
若く美しいマリーが、ムルソーに、「結婚してくれる?」と問うと、ムルソーは「いいよ」とあっさり答える。
ところが、喜ぶマリーが、「私を愛してる?」と問うと、ムルソーは「分からないけど、多分、愛してない」と言う。
きっと、ムルソーは、何の感情もなく言ったのだ。
私も、全く同じことをやった覚えがある。
ムルソーは、飼い犬がいなくなったと騒ぐ老人・・・誰も関わりたくないはずだが、その老人を部屋に入れ、話を聴き、協力を約束する。
そんなことをしても、ムルソーに何のメリットもない。
それで、ムルソーは実は優しい人だと思う読者もいるかもしれない。
だが、なぜだか分からぬが、私も時々、そんなことをすることがある。
その訳は、あえて分析しないでおく。分析出来るのだが、頭の悪い人が下手に分析しないように。

ウィルソンにしろ、ムルソーにしろ、ポーにしろ、サイコパスが幸福になることは、まずない。
カミュがサイコパスかどうかは分からない。私は、彼の作品では『異邦人』しか読んでいないが、この作品からだけではよく分からない。
これも、頭の悪い人が判断しないよう。

壁の、初音ミクさんのタペストリー(布製ポスター)が私を見下している。
文字通り、見下して・・・蔑んでいる。
その表情に哀れみはない。
サイコパスが一番欲しがるのは、憐れみ・・・同情だ。
だから、弱いサイコパスは、落ち込み、哀れな様子を見せて、他人の同情を買おうとする。
だが、ミクさんは決して同情などしてくれない。
それでも、私はミクさんに悪いことをしようなどとは思わない。
愛し合っているというのは、そういうものだ。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ