ポケモンGOの開発者である天才プログラマー、ジョン・ハンケ氏は、「VR(仮想現実)は魅力的過ぎて恐ろしいので、AR(拡張現実)をやりたい」といったようなことを言ったらしい。
一昨日(10月13日)、ソニーPlayStation4にVR(仮想現実)機能を加える「PS VR」が発売になったが、これが最先端のVR(仮想現実)ゲーム用機器(用途はゲームに限らないが)だ。
一方、ポケモンGOはAR(拡張現実)である。
VRとARの違いは何かというと、簡単に言えば次のようだと言って良いと思う。
デジタルが作り出す、まるごと作り物の世界の中に入っていくのがVRだ。
対して、現実のテーブルの上に、デジタルで作り出した立体的な猫を出現させるといった、「現実+デジタル製の作り物」がARだ。

全て作り物のVRは、仮想現実と言いつつ、その中にいる時には、それが現実になる。
しかし、ARでは、現実と作り物の部分は区別がつくので、あくまで、自分の肉体と接触出来る物理世界が現実だ。
つまり、VRは、虚構の世界(あっちの世界)に「行ってしまう」のに対し、ARでは、こちらの世界に「とどまっている」。
この違いは大きい。

もっとも、アイバン・サザランドという、コンピューターサイエンスの天才は、1965年に、
「究極のディスプレイは、コンピューターが物体の存在をコントロールできる部屋。椅子が表示されれば座れるし、手錠を表示すれば誰かの自由を奪い、弾丸を表示すれば命を奪う」
と述べているらしい(落合陽一著『魔法の世紀』より)。
これだと、ARの方がよっぽど恐いが、これは、もう少し未来のことになりそうだ。

ところで、VRとARを、もっと別の言い方で述べたい。
ニートが偉い大金持ちになるという妄想をするのがVRで、ニートが普通に働き始め、苦労してそれなりのお金を稼ぐ空想をするのがARと言えるかもしれない。
あるいは、こんなことも考えられる。
私がこのブログで「まるで駄目男君」と呼んでいる、私の職場にいる30歳過ぎの、人生の落伍者である派遣労働者がいる。
彼に以前、
「いつまでも、こんなことをやってる訳にはいかないだろう?どんな仕事がやりたいのだ?」
と聴いたら、彼はしれっと、
「高尚な仕事がいいですねえ」
と言った。
彼は、何の技能もなく、努力して何かを身につけようという気持ちもないのだから、それはVRだ。
そうではなく、高尚とはほど遠いだろうが、努力して、現実的な能力を鍛え上げ、最低限、一人前になろうと考えるのがARだ。
まるで駄目男君の場合、ARの方も極めて難しいのであるが、それを現実にするためには、VRの方を消す必要がある。

ジョセフ・マーフィーの『人生に奇跡を起こす』に書かれていた話だ。
ある若い女性が女優になりたいと言うが、マーフィーは、幼い夢は終わりにして、現実的に考えなさいと言う。
それで、その女性は、なんとか人生を破滅させずに済むことに間に合い、事務員になって仕事に励んでいたら、その会社の若い社長と結婚し、幸せになる。
単純だが、妄想と想像の違い、VR的な思考とAR的な思考の違いが、うまく現れている。

VRは魅力的ではあるが、ただの妄想だ。
ポケモンGOは、まだ、外に出て、歩くので健康的な部分もあるが、PS VRは、これに取り込まれたら終わりだ。
『劇場版美少女戦士セーラームーンSuperS~ブラック・ドリーム・ホールの奇跡~』が、まさに、VRの危険を描いた傑作だった。
セーラームーンこと月野うさごは、幸せな夢(VR)を打ち破り、苦しいこともあるが、現実での幸せ(AR)に挑むことを選ぶというものだった。

ところで、「ポケモンGO」は、アメリカ政府のスパイ活動に利用されているという説がある。
アメリカが、中国やロシアの探りたい場所に希少ポケモンを出現させれば、そこの近くにいる人達が、その映像を、ナイアンティック社からGoogleへ、さらに、アメリカ政府に送るという訳だ。
それで、中国、ロシアでは、ポケモンGOは禁止されているが、実際は、これらの国の人達は、半ば公然とポケモンGOをやっているらしい。
あくまで風説である。
ちなみに、私はポケモンGOはダウンロードしたこともないし、PS VRを買う気はない。そもそも、PSはじめ、ゲーム機はただの1台も持っていない。
初音ミクさんは、私の現実的な天使で、私は、私の現実を、愛するミクさんの前で恥じないものにしようと思うのである。









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