中村天風やその弟子達が、「信念が大事じゃ。信念を持て」と言い、そのためには、「イメージすれば良いのじゃ」「気を出せば良いのじゃ」と言ったが、彼らの本を熱心に読んでも、誰も信念を持てなかった。
また、信念や信仰の威力を説く者は多いが、騙されでもしない限り、信念や信仰は、ほとんど持てないものだということは分かってきている。
つまり、信念や信仰とは、洗脳された者が持つ癖・・・悪く言えば偏見のようなものだった。
ところが、近年では、良い方向になら、積極的に騙すというのもありと考える研究者も多くなり、例えば、「騙して夢中にさせて勉強や訓練をさせる」といった考え方も支持されているようだ。
だが、それは長期的に見れば、勉強や訓練をされる者のためにならないことは明らかである。
しかし、昨日も書いたが、自分は自分で騙す・・・というのではないが、自分の心は自分でコントロール出来、望む信念を持つことが出来ることが分かってきた。
その方法は、これも昨日書いた通り、表情を作ることであり、もう1つは、身体の態度である。
モテる男(女)の表情を真似し、モテる男(女)の態度を真似て、自分の心に、自分がモテる男(女)であると信じ込ませれば、行動が変わり、雰囲気が変わり、おそらくは、精神フィールドも変わり、全てがうまく回り、間違いなく、モテる男(女)になるだろう。
ところが、まるで駄目男君(私の職場にいる30歳過ぎの人生の完全落伍者)は、たびたび、両腕を大きく広げ、脚を広げて座り、顔つきはいかめしく、態度もデカい。
つまり、表情、態度においては、成功者のものを真似ているように見えるが、さっぱり駄目である。
それはなぜだろう?
ここには注意を払う必要がある。
およそ、人間のいる場所では、顔つき、態度は立派・・・いや、立派以上で傲慢なのだが、まるで駄目男君ほどではないが、やはり、駄目なヤツだらけなのだ。
電車の中でだって、ふんぞり返って座り、全然長くない脚を広げて人様の邪魔になることで、「俺は立派で偉い」と自己満足した顔をしている馬鹿がいくらでも見られるが、そんな連中は例外なく、まるで駄目男君への坂道を転げ落ちているのである。
本当に優れた人間と、こんな駄目連中との違いは何か?
それは、駄目男君達は、表情、態度を他人に見せようとして、「立派そう」「偉そう」にしている点である。ゴリラやサルのようにね。
つまり、まるで駄目男君達は、ゴリラやサルと変わらないのだが、本当のゴリラやサルなら、そんな態度でいれば、実際に強いやつに痛い目に遭わされるが、人間界は、暴力もパワハラも禁止の世界だ。
それで、自分の愚かさに気付くことなく、皆、ほどなく、まるで駄目男君になっていく。
本当に立派で力がある者というのは、あくまで、自分の心を制するために、立派な表情や態度を真似るのである。
前にも書いたが、初音ミクさんのコンサート&企画展「マジカルミライ2016」に来ていた人々のマナー、モラルは素晴らしいものであった。
本当に優れた人間は、他人に対しては尊大ではなく、謙虚でマナーを守り、モラルが高いのである。
「マジカルミライ」に来る人々は、ミクさんを崇めることで、自ずと、良いマナー、優れたモラルを発揮するのである。
これらの人々は、後は、自信のある表情、態度を身に付けることで、どこまでも成功するだろう。
崇めることの力は、ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』や、ロマン・ガリの『自由の大地』で見事に示されているが、26人の男達はやっぱり駄目男君に戻ってしまったように、崇めるだけでは足りないのだ。
初音ミクさんの『FREELY TOMORROW』の通り、「顔上げて微笑む」ことが大切である。
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また、信念や信仰の威力を説く者は多いが、騙されでもしない限り、信念や信仰は、ほとんど持てないものだということは分かってきている。
つまり、信念や信仰とは、洗脳された者が持つ癖・・・悪く言えば偏見のようなものだった。
ところが、近年では、良い方向になら、積極的に騙すというのもありと考える研究者も多くなり、例えば、「騙して夢中にさせて勉強や訓練をさせる」といった考え方も支持されているようだ。
だが、それは長期的に見れば、勉強や訓練をされる者のためにならないことは明らかである。
しかし、昨日も書いたが、自分は自分で騙す・・・というのではないが、自分の心は自分でコントロール出来、望む信念を持つことが出来ることが分かってきた。
その方法は、これも昨日書いた通り、表情を作ることであり、もう1つは、身体の態度である。
モテる男(女)の表情を真似し、モテる男(女)の態度を真似て、自分の心に、自分がモテる男(女)であると信じ込ませれば、行動が変わり、雰囲気が変わり、おそらくは、精神フィールドも変わり、全てがうまく回り、間違いなく、モテる男(女)になるだろう。
ところが、まるで駄目男君(私の職場にいる30歳過ぎの人生の完全落伍者)は、たびたび、両腕を大きく広げ、脚を広げて座り、顔つきはいかめしく、態度もデカい。
つまり、表情、態度においては、成功者のものを真似ているように見えるが、さっぱり駄目である。
それはなぜだろう?
ここには注意を払う必要がある。
およそ、人間のいる場所では、顔つき、態度は立派・・・いや、立派以上で傲慢なのだが、まるで駄目男君ほどではないが、やはり、駄目なヤツだらけなのだ。
電車の中でだって、ふんぞり返って座り、全然長くない脚を広げて人様の邪魔になることで、「俺は立派で偉い」と自己満足した顔をしている馬鹿がいくらでも見られるが、そんな連中は例外なく、まるで駄目男君への坂道を転げ落ちているのである。
本当に優れた人間と、こんな駄目連中との違いは何か?
それは、駄目男君達は、表情、態度を他人に見せようとして、「立派そう」「偉そう」にしている点である。ゴリラやサルのようにね。
つまり、まるで駄目男君達は、ゴリラやサルと変わらないのだが、本当のゴリラやサルなら、そんな態度でいれば、実際に強いやつに痛い目に遭わされるが、人間界は、暴力もパワハラも禁止の世界だ。
それで、自分の愚かさに気付くことなく、皆、ほどなく、まるで駄目男君になっていく。
本当に立派で力がある者というのは、あくまで、自分の心を制するために、立派な表情や態度を真似るのである。
前にも書いたが、初音ミクさんのコンサート&企画展「マジカルミライ2016」に来ていた人々のマナー、モラルは素晴らしいものであった。
本当に優れた人間は、他人に対しては尊大ではなく、謙虚でマナーを守り、モラルが高いのである。
「マジカルミライ」に来る人々は、ミクさんを崇めることで、自ずと、良いマナー、優れたモラルを発揮するのである。
これらの人々は、後は、自信のある表情、態度を身に付けることで、どこまでも成功するだろう。
崇めることの力は、ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』や、ロマン・ガリの『自由の大地』で見事に示されているが、26人の男達はやっぱり駄目男君に戻ってしまったように、崇めるだけでは足りないのだ。
初音ミクさんの『FREELY TOMORROW』の通り、「顔上げて微笑む」ことが大切である。
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