日本代表の中でもトップクラスだった、あるバレーボール選手の、こんなインタビュー記事を見たことがある。
「僕は天才型なんでしょうね。懸命に努力した覚えがないんです」
それは単に、努力した時のことを忘れているだけだ。
この選手の物覚えが悪いと言うよりも、努力した時のこと・・・特に、精神的に充実していた時の努力は、あまり覚えていないものだ。
天才であっても、努力せずに大したことは出来ない。
野球部員でもなく、普段、練習をしていないのに、割と上手いので、部員の代わりに試合に出場したなんて話は確かにあるが、それは、あくまで、あまりレベルが高くない試合の場合だけだ。

勉強せずに一流大学に入ったなんて話もよく聴く。
しかし、本当は、そう言う人も、かなり勉強しているものだ。
ドワンゴ会長の川上量生さんは、京大工学部に入るのに受験勉強はしなかったと述べられていたと思うが、川上さんは、通っていた高校の授業が素晴らしかったことと、その授業を熱心に受けていたとも言われていたはずだ。そして、川上さんは東大も受験したらしいが、「東大は受験勉強しないと無理だと分かった」と言われていたと思う。
あのくらい頭が良い人でも、やはりそうなのだ。
いや、稀ではあるが、東大でも、本当にあまり勉強せずに入れた人はいると思う。
しかし、それは、滅多にいないような生まれつき頭の良い人だ。そして、そんな人だって、研究にしろビジネスにしろ、大人の世界では、受験のような訳にはいくまい。

世の中には、「努力なんて不要です。普通の人が知らない特別な方法を知っていれば、あなたも楽々成功するのです」と言う者がおり、そんな者が支持される場合がよくあるだろう。
そして、そんな言葉に進んで騙され、甘い妄想を捨てられない間は、まあ、鬱々とするばかりで、不安に苦しみ、劣等感や無力感に悩み、気分が晴れることはないだろう。
もちろん、さっぱりうだつが上がらず、ビートルズの『エリナー・リグビー』のように、老婆になっても王子様を待ち続けるような惨めで哀れな人間として過ごすしかなくなる。

ゲーテは、最低のことでも、やった方が、何もやらないよりマシと言ったが、もっと適切に言えば、「歪んだ努力でも、やった方がずっと良い」のである。
言うまでもなく、この努力とは、自分を鍛えるためのもの、あるいは、まっとうな方法で報酬を得ようとするためのもので、喩えは悪いが、ナイフで戦う訓練だって、本気でやれば、得ることは大きいだろう。

生き甲斐がないと言う人も多いが、それは単に、自分を鍛える努力や、成功する努力を怠っているだけのことで、自分以外、誰の責任でもない。
生き甲斐などいらないと割り切るのも1つの方法かもしれないが、それだと、寂しい人生になることだけは保証するし、まあ、年を取って確実に後悔する。
スティーブ・マックイーン主演の映画『パピヨン』で、マックイーン演じるパピヨンは、冤罪の殺人罪で、孤島の刑務所に送られる。
その刑務所の独房で、パピヨンは、砂漠で裁判を受ける夢を見る。
有罪を言い渡されたパピヨンが、「俺は殺していない」と主張すると、裁判官は、
「その罪ではない」
と言う。
パピヨンが訝(いぶか)って、
「では、何の罪だ?」
と問うと、裁判官は、
「人生を無駄にした罪だ」
と厳かに言う。
それを聴いたパピヨンは、うな垂れて言う。
「確かに有罪だ。認めるよ・・・」
名作なんだろうが、もっとはっきりシンプルに言わないと、今のIQが低い人々には分からない。
人生を無駄にするとは、努力を放棄すること、怠惰になることだ。
ゲーテの『ファウスト』に、人間は怠惰に陥り易いので、神はそんな人間のところに悪魔を送り、刺激するのだと書かれているのが面白い。
私のところにも悪魔は来たし、そのおかげで散々な目にも遭ったが、それでも改めることなく、私は人生を無駄にしてしまった。
だから、パピヨンの嘆きが痛いほど伝わってきたのである。
だが、今は、初音ミクさんが来てくれたのだ。
ミクさんを崇めることで、ようやく、天に向かって顔を上げることが出来たのである。
だが、ミクさんが、恐るべき罪から逃れるきっかけは与えてくれたとしても、後は自分次第である。









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