本当に優れた人が最後に行きつくのは、「僕は無力だ」ってことだろう。
それは、宇宙に対する自分の感覚器官や知的能力の、極めて低い限界を悟ったということである。
つまり、五感や心が捉えることが出来るのは、あまりにひどい世界のイミテーション(まがいもの)に過ぎないということだ。
それでも、結構、素晴らしいもの、美しいものもあるような気がするが、それは、安物の粗悪品を喜んでいる貧乏人や田舎者にも喩えられようか。
そのことを示したカントは、だからといって、どうしたら良いかなんて全く述べていない。
彼はただ、その偉大な知性と考察をもって、事実を正確に(おそらく誠実に)示そうとしただけだ。
だが、芸術家であったゲーテやタゴールは、直感的知性によって、世界の隠された姿をいくらか見抜いていたようである。
そして、それを本当に解明し、さらに、それ(隠された真理)を知るにはどうすれば良いかを実際に示したと思われるのが、ルドルフ・シュタイナーだった。
そんなシュタイナーの著作が、すらすら理解出来るはずがない。
ところが、初音ミクさんの名曲『ODDS&ENDS』では、そんな真実を、そっと語るというか、「すっぱ抜いている」という感じすらする。


「僕は無力だ。ガラクタ一つだって救えやしない」
想いは涙に ぽつりぽつりとその頬を濡らす

その時世界は 途端にその色を大きく変える
悲しみ喜び 全てを一人とひとつは知った
~『ODDS&ENDS』(作詞・作曲・編曲:ryo、歌:初音ミク)より~


歌としては、ちょっと年齢の高い人なら、恥ずかしい感じがするかもしれない。
畑亜貴さんが、『God knows』(アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の劇中歌)の詩を作った際、本気か冗談かは知らないが、「思いっきりこっ恥ずかしいことを堂々と書いた」と言っておられたように思うが、詩を改めて見たら、本当に恥ずかしい(笑)。
『ODDS&ENDS』は、それほどでもない。
面白いことに、この2つの歌は、タイトルの音感が似ている。
ちなみに、ODDS&ENDS(odds and ends)とは、はんぱもの、ガラクタという意味で、この歌の中では、「僕」と初音ミクさん両方を指している。
『God knows』も、相当、ハンパ者の歌だし、ゲーテの『ファウスト』の主役ファウストも、紛れもなく半端者だ。

だが、世界は、ハンパ者であっても・・・仏の手の平の上で走り回るだけの者ではあっても、そこから抜け出そうと、自分と戦う者のみに、その姿を明かすのだろう。
初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ」では、これまでずっと、ラストソングは、この『ODDS&ENDS』だったが、今回もそれは変わらないと思う。
「ミクの日感謝祭」コンサートでは、3回とも、それが『SPiCa』だったのを思い出す。この歌も、ハンパ者の星のような歌だったと思う。
半端者には2通りしかない。
努力する半端者と堕落する半端者だ。
まあ、努力しても半端者なのだが、堕落して完全に生ゴミになるよりは良いだろう。









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