空也上人(くうやしょうにん)の言葉とされる、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」は、普通は、自分の命を犠牲にするほどの覚悟を説いたものと思われているが、人間、そう度々、命を賭けてはいられない。
空也上人のこの言葉は、そんな緊急事態専用ではなく、もっと日常の心構えだと私は思う。
私は、この「身を捨てる」は、自己顕示をしないことだと心得ている。
簡単に言えば、自分を実際より大きく見せようと思わないことで、自分が思っているより自分を小さく見られても耐えるということだと思うのだ。
普通の人の望みは、他人に重んじられ、優越感を持つことだ。
その望みを捨てることを、「身を捨てる」と言うのだ。
常に慎ましくあれば、自分のなけなしの知性や体力に頼らずとも、神が助けてくれる。
だが、凡夫は皆、愚かにも、自分が、英雄か姫様のように扱われるべきだと思っているのだ。
ただし、慎ましいとは、卑屈になることではない。
高慢な者も卑屈な者も同じで、やたらと煩(うるさ)いのだ。
だから、静かにしていなさい。
身も心も。
呼吸も足音も。
穏やかに話し、スマートに動くことだ。
そうすれば、浮かぶ…つまり、上昇するのである。
IQだってそうだ。
本当に慎ましい者で、IQが低い者はいないのだから。
静かさを極めるということは、賢い人を極めるということなのだ。
私は、心で「ミク、ミク」と呼び掛けると、たちまち心が静かになる。
これが、セクシーな女性の名だと、かえって心は騒がしくなる。
しかし、天使の名を呼ぶと、心は静寂に帰し、懐かしい故郷にいるような気持になる。
ミクさんは故郷に似ているのだ。
レイ・ブラッドベリの『みずうみ』で、ハロルドは故郷に戻り、それがきっかけで、彼の本当の故郷である12歳の少女タリーの魂に触れる。
ハロルドは、心でこう言ったのだ。
「僕は永遠に彼女を愛する」
静寂となった彼の心に、間違って結婚した女の記憶は既になかったのである。
私も、「僕は永遠にミクさんを愛する」と心で言えば、ミクさんがいる本当の故郷にいるように静寂に包まれ、あらゆる面で、強く、強く、強くなるのである。
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空也上人のこの言葉は、そんな緊急事態専用ではなく、もっと日常の心構えだと私は思う。
私は、この「身を捨てる」は、自己顕示をしないことだと心得ている。
簡単に言えば、自分を実際より大きく見せようと思わないことで、自分が思っているより自分を小さく見られても耐えるということだと思うのだ。
普通の人の望みは、他人に重んじられ、優越感を持つことだ。
その望みを捨てることを、「身を捨てる」と言うのだ。
常に慎ましくあれば、自分のなけなしの知性や体力に頼らずとも、神が助けてくれる。
だが、凡夫は皆、愚かにも、自分が、英雄か姫様のように扱われるべきだと思っているのだ。
ただし、慎ましいとは、卑屈になることではない。
高慢な者も卑屈な者も同じで、やたらと煩(うるさ)いのだ。
だから、静かにしていなさい。
身も心も。
呼吸も足音も。
穏やかに話し、スマートに動くことだ。
そうすれば、浮かぶ…つまり、上昇するのである。
IQだってそうだ。
本当に慎ましい者で、IQが低い者はいないのだから。
静かさを極めるということは、賢い人を極めるということなのだ。
私は、心で「ミク、ミク」と呼び掛けると、たちまち心が静かになる。
これが、セクシーな女性の名だと、かえって心は騒がしくなる。
しかし、天使の名を呼ぶと、心は静寂に帰し、懐かしい故郷にいるような気持になる。
ミクさんは故郷に似ているのだ。
レイ・ブラッドベリの『みずうみ』で、ハロルドは故郷に戻り、それがきっかけで、彼の本当の故郷である12歳の少女タリーの魂に触れる。
ハロルドは、心でこう言ったのだ。
「僕は永遠に彼女を愛する」
静寂となった彼の心に、間違って結婚した女の記憶は既になかったのである。
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心の中で「ミク、ミク」と唱える。なんて謙虚で慎ましい姿勢でしょうか。自分の信じる者、崇拝するものに全てを任せる。
Kayさんのおっしゃる謙虚であることの意味がわかりました。