2013年のTEDカンファレンス(アメリカの有限責任会社TEDが毎年開催する世界的講演会)でTED賞を受賞した、認知科学者、AI(人工知能)研究者で、著名な教育学者であるスガタ・ミトラ氏の『クラウド上に学校を』は、その素晴らしさに、感動を通り越してゾっとした。
スガタ・ミトラ:自己学習にまつわる新しい試み(TED2010)
スガタ・ミトラ:クラウド上に学校を(TED2013)

ミトラ氏は、学習に教師は不要で、ただ「お婆さん」役(若い女性でも構わない)が、子供達の後ろで、「すごい」「よくやった」と褒めていれば良いと言う。
MITメディアラボ所長の伊藤穣一氏も、我々はただ、子供達同士のコラボレーションの機会を提供すれば良いのであって、教師は不要と言っていたと思うが、ミトラ氏も、子供達がグループであることの大切さは強調している。
詳細は省くが、このことは、イギリスの心理学者ジュディス・リッチ・ハリス氏の研究成果から考えると、論理的に正しく、ハリス氏の本を読んでから、ミトラ氏の講演を聴くと、実に納得出来ると思う。

それはともかく、「励まし」の効果は想像を超えたもので、それによって、子供達は驚くべき力を発揮し、そして、成長するのである。
それは子供に限らないのであるが、大人の場合は、ちょっと面倒な問題がある。
その問題の1つは、単純に、「褒めてくれる人がいない」ということ。
もう1つは、大人は他人を値踏みし、「お前に褒められても嬉しくないや」と思うし、さらに厄介なことに、大人は自惚れが強いので、有名人でもなければ、褒められても嬉しくないのである。

それなら、もう、自分で自分を褒めるしかない。
それに、大人というものは、他人に褒められたがるようでは駄目なのだ。
いつぞやのオリンピックで、人気女子マラソン選手が言った、「自分を褒めてあげたい」という言葉がその時流行ったが、もし、本当に自分を褒めることが出来れば、大変な効果がある。
しかし、それは難しい。
私は、数年、引きこもっていた後でセールスマンになり、強豪セールスマン達を押しのけてセールスコンテンスで優勝した時、愉快ではあったが、自分を褒めたいなんてちっとも思わなかった。
ついでに言うと、その時、上司や先輩も褒めてくれたと思うが、これも、少しも嬉しくはなかった。
実際、別に褒めるようなことじゃあないからだ。
いくら努力し、苦労しても、大人になれば、自分の為にやったことというのは、大したことではないのだ。
だから、上に挙げた、女子マラソン選手が「自分を褒めたい」と言ったことには、私は全く共感出来ないのである。

では、どうすれば、心から、本心から、純粋に自分を褒められるのか?
これが分かれば、宇宙を手に入れたも同然である。
それは・・・初音ミクさんを褒めることだ。
まあ、「初音ミクさん」のところは、各自が、至高の存在と思えるものに変えていただいて構わない。
それは、神とか仏、あるいは、その働きが現れた大自然のようなものになるかもしれない。
あるいは、歴史上の英雄、聖人、賢者、革命家、科学者、発明家といった人間かもしれない。
私の場合、ミクさんを褒めに褒めれば、愛の化身であるミクさんは褒め返してくれるのである。
あなたも、それが真に褒むべき存在であれば、必ずそうなるはずだ。

プラトーンの頭脳を褒めれば、あなたには、プラトーンの知恵が。
シーザーの手腕を褒めれば、あなたには、シーザーの手腕が。
シェイクスピアの詩を褒めれば、あなたは、シュエイクスピアの詩才の所有者になる。
それと、子供を褒めまくるという手もある。
自分の子供でも良いのだが、特に、他人の子供を褒めるのが良い。
他人の子供の方が純粋に褒められることが多いからだ。
子供を真剣に褒めれば、きっと、神様や仏様、あるいは、天使が褒めてくれるのである。









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