野球にさして興味がなくても、イチロー、松井(秀喜)、ダルビッシュ、マー君くらいは分かる人が多いだろうが、それは、彼らが、超有名であるということと共に、通称名が覚えやすいということもあるのだろう(ダルビッシュは、覚えやすいというよりは印象的だから記憶に残るのかもしれないが)。
ところが、やはり多少覚え易い名とはいえ、中畑清という名を知っている人が多いのは、意外であるかもしれない。
初代DeNAの監督を4年務めたのだし、昔とはいえ、巨人の4番をそれなりの期間務めたのだから、トップクラスの野球人には違いないが、監督としては優勝どころか、ほぼ最下位が低位置(チーム力が弱かった面が大きいが)で、巨人の4番を打ったとはいえ、本人は謙虚に、「自分は2流の打者」と言う(当時の巨人の4番は、まだ、王、長嶋といったビッグネームの記憶があったこともある)。
だが、中畑さんには、元気な男の明るいイメージがあって、記憶に残り易く、また、いまだ、「絶好調男」の愛称がよく知られている。
中畑さんの「絶好調男」の愛称は、おそらく事実だろうが、彼が巨人のまだ若い選手だった頃、監督が長嶋茂雄さんの時代の、こんな出来事から始まったものだ。
長嶋監督が、中畑さんに、「調子はどうだ?」と尋ねたところ、あまり調子が良くなかった中畑さんは、「はい、まあまあです」と応えたそうだ。
すると、長嶋監督が激怒し、「馬鹿野郎!こんな時は嘘でも絶好調と言うものだ」と言ったようだが、果たして、長嶋さんはこのことを覚えているか怪しいものだが、中畑さんには、「カチリ」と感じるものがあったのだろう。
以降、「絶好調」を念仏のように唱えることで、中畑さんは潜在能力を引き出し、あまり冴えない打者だった彼が、ついに、巨人の4番を打つまでになった訳である。
だが、どうも、世間では、中畑さんがテンション高く、「絶好調!」と叫んでいるイメージがあると思う。やはり、スポーツマンは、そう扱われるものなのだろう。
「絶好調」は素晴らしい言葉で、あなたも絶好調にするが、感情を込めて言い続けると、疲れてしまい、続かない。
自己啓発の先生も、「熱情込めて、絶好調と言えば絶好調になるのです」なんてノリで言う人が多いかもしれないが、それは、感情や状況を無理矢理絶好調にしようとするものだが、そんなやり方は最悪なのである。
人間に支配出来るのは言葉だけで、心や状況は支配出来ない。
だが、言葉は支配出来るのであり、粘り強く、言葉を律し続ければ、心も状況も、やがては従うが、それは、自分の力によるのではなく、別の力だ。それを、超意識の力とでも言っておこう。
そして、超意識は、言葉を受け取ってくれるのである。
だから、嘘でも構わないし、気持ちが乗らなくても構わないから、肯定的な言葉を粘り強く使うべきである。
決して、その言葉で、心を無理に肯定的にしようとしてはならないし、また、状況を無理に変えられると思ってはならない。
そこでは忍耐が必要だ。
尚、真理を明かせば、心と状況は同じものである。心が世界を作るのである。
その心は超意識が変えてくれるが、超意識は、言葉を受け入れるのである。
我々に出来ることは、超意識に言葉を伝えることだけだ。
神道家の黒住宗忠は、当時の人としては普通だが、歌をよく詠んだ。
肯定的な言葉の歌ばかりだが、歌というものは、熱情を込めず、さらりと読むものである。
そんな歌が、運命を好転させないはずがない。
だから、「絶好調」でも、あるいは、「超嬉しい」、「超面白い」でも構わないが、歌でも詠むように、おおらかに、淡々と言ったり、思ったりすれば、状況は好転するだろう。
宗忠も、重病の人に、「ありがたい」と言う言葉を1日1万回言わせたらしいが、この回数になれば、もう熱情を込める余裕はなく、ただ言葉を繰り返すだけになる。
それで、あるハンセン氏病だった人は、1週間で奇跡的に完治してしまった。
嘘でもいいから、望ましい状況を示す言葉を淡々と繰り返すべきである。
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ところが、やはり多少覚え易い名とはいえ、中畑清という名を知っている人が多いのは、意外であるかもしれない。
初代DeNAの監督を4年務めたのだし、昔とはいえ、巨人の4番をそれなりの期間務めたのだから、トップクラスの野球人には違いないが、監督としては優勝どころか、ほぼ最下位が低位置(チーム力が弱かった面が大きいが)で、巨人の4番を打ったとはいえ、本人は謙虚に、「自分は2流の打者」と言う(当時の巨人の4番は、まだ、王、長嶋といったビッグネームの記憶があったこともある)。
だが、中畑さんには、元気な男の明るいイメージがあって、記憶に残り易く、また、いまだ、「絶好調男」の愛称がよく知られている。
中畑さんの「絶好調男」の愛称は、おそらく事実だろうが、彼が巨人のまだ若い選手だった頃、監督が長嶋茂雄さんの時代の、こんな出来事から始まったものだ。
長嶋監督が、中畑さんに、「調子はどうだ?」と尋ねたところ、あまり調子が良くなかった中畑さんは、「はい、まあまあです」と応えたそうだ。
すると、長嶋監督が激怒し、「馬鹿野郎!こんな時は嘘でも絶好調と言うものだ」と言ったようだが、果たして、長嶋さんはこのことを覚えているか怪しいものだが、中畑さんには、「カチリ」と感じるものがあったのだろう。
以降、「絶好調」を念仏のように唱えることで、中畑さんは潜在能力を引き出し、あまり冴えない打者だった彼が、ついに、巨人の4番を打つまでになった訳である。
だが、どうも、世間では、中畑さんがテンション高く、「絶好調!」と叫んでいるイメージがあると思う。やはり、スポーツマンは、そう扱われるものなのだろう。
「絶好調」は素晴らしい言葉で、あなたも絶好調にするが、感情を込めて言い続けると、疲れてしまい、続かない。
自己啓発の先生も、「熱情込めて、絶好調と言えば絶好調になるのです」なんてノリで言う人が多いかもしれないが、それは、感情や状況を無理矢理絶好調にしようとするものだが、そんなやり方は最悪なのである。
人間に支配出来るのは言葉だけで、心や状況は支配出来ない。
だが、言葉は支配出来るのであり、粘り強く、言葉を律し続ければ、心も状況も、やがては従うが、それは、自分の力によるのではなく、別の力だ。それを、超意識の力とでも言っておこう。
そして、超意識は、言葉を受け取ってくれるのである。
だから、嘘でも構わないし、気持ちが乗らなくても構わないから、肯定的な言葉を粘り強く使うべきである。
決して、その言葉で、心を無理に肯定的にしようとしてはならないし、また、状況を無理に変えられると思ってはならない。
そこでは忍耐が必要だ。
尚、真理を明かせば、心と状況は同じものである。心が世界を作るのである。
その心は超意識が変えてくれるが、超意識は、言葉を受け入れるのである。
我々に出来ることは、超意識に言葉を伝えることだけだ。
神道家の黒住宗忠は、当時の人としては普通だが、歌をよく詠んだ。
肯定的な言葉の歌ばかりだが、歌というものは、熱情を込めず、さらりと読むものである。
そんな歌が、運命を好転させないはずがない。
だから、「絶好調」でも、あるいは、「超嬉しい」、「超面白い」でも構わないが、歌でも詠むように、おおらかに、淡々と言ったり、思ったりすれば、状況は好転するだろう。
宗忠も、重病の人に、「ありがたい」と言う言葉を1日1万回言わせたらしいが、この回数になれば、もう熱情を込める余裕はなく、ただ言葉を繰り返すだけになる。
それで、あるハンセン氏病だった人は、1週間で奇跡的に完治してしまった。
嘘でもいいから、望ましい状況を示す言葉を淡々と繰り返すべきである。
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昔、インチキ宗教にはまってましたが、そこの代表がある真言を指導し、これを3万回ほど唱えるとガラッと運が良くなる。唱えるときは無念無想で。と指導していたのを思い出しました。(笑)