健康は、昔から、あらゆる国の人々の関心事であるが、美容に興味を持つ人が多いのは、豊かな国である証拠である。
ビジネスの教訓を語る話に、誰も靴を履いていない民族を見て、「誰も靴を履いていないので、靴は売れない」と考えるか、「誰も靴を履いていない。膨大な市場だ」と見るかという話があるが、貧しい国に美容製品や美容サービスを売り込むのは難しいに違いない。
日本は非常に美容が盛んであり、若い人だけでなく、年配の女性、さらには、この分野では最後の市場とも思える年配の男性も顧客対象になるのだから、やはり日本は豊かである。
ただし、日本が豊かなのは、昭和の高度成長期に猛烈に働いた日本人の遺産のようなところがあり、今後はどうなるか分からないし、既に、貧困も多くなっている。
だが、まだ、豊かな人が多いのである。
若い女性の美容への関心は高く、最近は、美容法に関し、見る目も肥えてきている。
女性(に限らないが)の、一番の関心事は、小顔、顔の肌の張りとツヤと思う。
そして、そのことに関心の強い女性は、やはり、かなり美しいものである。
顔が小さく、美しくなるなら、ありとあらゆることをやる。
最近は、顔ヨガとか、美顔ローラー、特殊なクリームが人気があるようだが、「いや、表面をいじっても駄目で、骨が大事。そのためには身体全体から」と言う先生もいる。
それで、熱心な人は、片っ端からやるので、確かに効果は出ているのだが、どれが効いたか分からないのである。
その全ての総合効果とも考えられる。
しかし、一番の要因は、小顔になりたい、張りとツヤのある肌でいたいという強い願望である。
そして、美容のことであっても、強い、継続する願望というのは、あまり低俗な欲望からは起こらず、どこかに、高貴な心がある。
たとえば、至高者である神や、人間より上位の天使は、驚くほど美しく、おそらく、少女のような姿をしているだろうから、それに近付きたいと思う心である。
それなら、少し前にも書いたが、ジョージ・アダムスキーの著作にあったことが参考になると思う。
アダムスキーの宇宙人の話が事実かどうかは知らないが、たとえ空想としたところで、非常に高度で、だからこそ、彼が亡くなって半世紀以上経つのに、いまだ彼は世界的な有名人で、最近は、彼の思想が見直されつつあると聴く。
彼が接触した宇宙人は、地球の時間で言えば百歳をはるかに超えていても、男性なら30歳程度、女性なら二十歳前の若さで、しかも、非常に美しいそうだ。
数百年生きている宇宙人の中には、40代以上に見える者もいるらしいが、それでも、やはり、美しいという。
アダムスキーは、宇宙船の中で会った金星の女性があまりに美しいので言葉を失ったが、彼女が、自分達の若さの要因という「神の絵」を見た時には、魂まで奪われて恍惚となったと述べていた。
それは、宇宙人のあらゆる家庭にあるという絵だが、男性とも女性とも見える18歳位に見える人物のようだ。
アダムスキーは、金星の美人すら、その美しさを表現する言葉がないと言うが、神の姿となると、物理的に存在するものだとはいえ、別次元のものなのだろう。
それで、私も、そんな絵を見たいと思い、人類が創った芸術作品の中で最も美しいものは何かと調べてみた。
最終的な結論は、京都の広隆寺にある木作りの弥勒菩薩像である。
聖徳太子が所有していたとも言われる、高さ123.3センチメートルの、座った弥勒菩薩の全身像であり、その微笑んだ顔の表情は西洋では「アルカイク・スマイル」と言われる。
昭和26年に彫刻の国宝第1号に選ばれている。
だが思うのだ。
アダムスキーが見た絵は、ただの絵ではなく、生きているともいう宇宙船の中にいたことで、また、宇宙人達と居たことで、精神が変容していたからこそ見えたのだと。
その絵は、ただのプリントではなく、生きた絵のようなものに違いない。
元々、芸術とは、創作者と、それを見る者とのコラボレーション(共同制作)なのである。
あるいは、絵画を見るというのは、鑑賞者がその絵画を描くということであり、音楽を聴くというのは、やはり、鑑賞者が、その音楽を作曲することなのである。
このあたりは、理屈では分かり難いかもしれないが、直感でピンとくるのではないかと思う。
つまり、我々の中に、神秘的な創造者がいて、外部の世界を瞬間に作り上げている。
何らかの条件の中で、内なる創造者が至高の技で作り上げるのが、真の芸術作品なのである。
内なる創造者に、宇宙人も地球人も違いはない。
宇宙人は、あの「神の絵」を毎日見ているから、若さと美を常に再生させているが、それは、あの絵に、それを引き起こす何かがあるのである。
ただ、それは、絵の一方的な作用ではなく、見る側の役割も重要なのだ。
そして、内なる創造者(それは至高者である神だと思う)が表われるのであれば、対象は何であるかは問わないと思う。
「モナリザ」が、「ただの太ったおばさん」に見える人もいれば、至高の美と感じる人もいるのである。
そして、「モナリザ」に限らないが、本当にそれが至高の美であると感じるなら、その人の内なる神が輝き、若さと美、そして、あらゆる神の性質を現すであろう。
何でも良いのである。
高価な原画でなくても、複製やポスターでも、あるいは、写真でも構わない。
それを至高の芸術品にするのは、見る者次第である。
スマートフォンやタブレットPCの画像でも良いのだと思うが、現在の液晶は、まだ問題があるかもしれない。
ただし、イタリアの超一流のファッション・デザイナーのリカルド・ティッシ(ジバンシィのトップデザイナーでもある)が、iPhoneの画面で初音ミクさんを見て心奪われ、ミクさんの服を熱心に作っているように、高度な感性を持つ人であれば、芸術を見るためのメディアは幅広くなると思う。
私は、壁に貼った、初音ミクさんのタペストリー(布製のポスター)が、私の魂の成長により、神の御姿になりつつある。
いつか、私の魂の目は、宇宙人達同様、神の姿を見るのである。
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ビジネスの教訓を語る話に、誰も靴を履いていない民族を見て、「誰も靴を履いていないので、靴は売れない」と考えるか、「誰も靴を履いていない。膨大な市場だ」と見るかという話があるが、貧しい国に美容製品や美容サービスを売り込むのは難しいに違いない。
日本は非常に美容が盛んであり、若い人だけでなく、年配の女性、さらには、この分野では最後の市場とも思える年配の男性も顧客対象になるのだから、やはり日本は豊かである。
ただし、日本が豊かなのは、昭和の高度成長期に猛烈に働いた日本人の遺産のようなところがあり、今後はどうなるか分からないし、既に、貧困も多くなっている。
だが、まだ、豊かな人が多いのである。
若い女性の美容への関心は高く、最近は、美容法に関し、見る目も肥えてきている。
女性(に限らないが)の、一番の関心事は、小顔、顔の肌の張りとツヤと思う。
そして、そのことに関心の強い女性は、やはり、かなり美しいものである。
顔が小さく、美しくなるなら、ありとあらゆることをやる。
最近は、顔ヨガとか、美顔ローラー、特殊なクリームが人気があるようだが、「いや、表面をいじっても駄目で、骨が大事。そのためには身体全体から」と言う先生もいる。
それで、熱心な人は、片っ端からやるので、確かに効果は出ているのだが、どれが効いたか分からないのである。
その全ての総合効果とも考えられる。
しかし、一番の要因は、小顔になりたい、張りとツヤのある肌でいたいという強い願望である。
そして、美容のことであっても、強い、継続する願望というのは、あまり低俗な欲望からは起こらず、どこかに、高貴な心がある。
たとえば、至高者である神や、人間より上位の天使は、驚くほど美しく、おそらく、少女のような姿をしているだろうから、それに近付きたいと思う心である。
それなら、少し前にも書いたが、ジョージ・アダムスキーの著作にあったことが参考になると思う。
アダムスキーの宇宙人の話が事実かどうかは知らないが、たとえ空想としたところで、非常に高度で、だからこそ、彼が亡くなって半世紀以上経つのに、いまだ彼は世界的な有名人で、最近は、彼の思想が見直されつつあると聴く。
彼が接触した宇宙人は、地球の時間で言えば百歳をはるかに超えていても、男性なら30歳程度、女性なら二十歳前の若さで、しかも、非常に美しいそうだ。
数百年生きている宇宙人の中には、40代以上に見える者もいるらしいが、それでも、やはり、美しいという。
アダムスキーは、宇宙船の中で会った金星の女性があまりに美しいので言葉を失ったが、彼女が、自分達の若さの要因という「神の絵」を見た時には、魂まで奪われて恍惚となったと述べていた。
それは、宇宙人のあらゆる家庭にあるという絵だが、男性とも女性とも見える18歳位に見える人物のようだ。
アダムスキーは、金星の美人すら、その美しさを表現する言葉がないと言うが、神の姿となると、物理的に存在するものだとはいえ、別次元のものなのだろう。
それで、私も、そんな絵を見たいと思い、人類が創った芸術作品の中で最も美しいものは何かと調べてみた。
最終的な結論は、京都の広隆寺にある木作りの弥勒菩薩像である。
聖徳太子が所有していたとも言われる、高さ123.3センチメートルの、座った弥勒菩薩の全身像であり、その微笑んだ顔の表情は西洋では「アルカイク・スマイル」と言われる。
昭和26年に彫刻の国宝第1号に選ばれている。
だが思うのだ。
アダムスキーが見た絵は、ただの絵ではなく、生きているともいう宇宙船の中にいたことで、また、宇宙人達と居たことで、精神が変容していたからこそ見えたのだと。
その絵は、ただのプリントではなく、生きた絵のようなものに違いない。
元々、芸術とは、創作者と、それを見る者とのコラボレーション(共同制作)なのである。
あるいは、絵画を見るというのは、鑑賞者がその絵画を描くということであり、音楽を聴くというのは、やはり、鑑賞者が、その音楽を作曲することなのである。
このあたりは、理屈では分かり難いかもしれないが、直感でピンとくるのではないかと思う。
つまり、我々の中に、神秘的な創造者がいて、外部の世界を瞬間に作り上げている。
何らかの条件の中で、内なる創造者が至高の技で作り上げるのが、真の芸術作品なのである。
内なる創造者に、宇宙人も地球人も違いはない。
宇宙人は、あの「神の絵」を毎日見ているから、若さと美を常に再生させているが、それは、あの絵に、それを引き起こす何かがあるのである。
ただ、それは、絵の一方的な作用ではなく、見る側の役割も重要なのだ。
そして、内なる創造者(それは至高者である神だと思う)が表われるのであれば、対象は何であるかは問わないと思う。
「モナリザ」が、「ただの太ったおばさん」に見える人もいれば、至高の美と感じる人もいるのである。
そして、「モナリザ」に限らないが、本当にそれが至高の美であると感じるなら、その人の内なる神が輝き、若さと美、そして、あらゆる神の性質を現すであろう。
何でも良いのである。
高価な原画でなくても、複製やポスターでも、あるいは、写真でも構わない。
それを至高の芸術品にするのは、見る者次第である。
スマートフォンやタブレットPCの画像でも良いのだと思うが、現在の液晶は、まだ問題があるかもしれない。
ただし、イタリアの超一流のファッション・デザイナーのリカルド・ティッシ(ジバンシィのトップデザイナーでもある)が、iPhoneの画面で初音ミクさんを見て心奪われ、ミクさんの服を熱心に作っているように、高度な感性を持つ人であれば、芸術を見るためのメディアは幅広くなると思う。
私は、壁に貼った、初音ミクさんのタペストリー(布製のポスター)が、私の魂の成長により、神の御姿になりつつある。
いつか、私の魂の目は、宇宙人達同様、神の姿を見るのである。
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