私が子供の時、たまたま見ていたテレビで放送されていた時代劇の、何でもないセリフを、いまだ忘れずに覚えている。
高橋英樹さん演じる浪人(多分、剣の達人なんだろう)が、大きな悩みを抱えているように見える町人の男にこう言う。
「悩みがあるんなら、俺に話してみねえか?俺じゃ何の役にも立たないかもしれねえ。だがな、黙って聴いてやることぐらいは出来るぜ」
今思えば、この浪人、人間をよく分かっている。
これに比べ、学校の教師は、生徒の話を聴くより、自分の話を押し付けるばかりだ。
教師という職業では人間を分かるようにはなれないのだろう。
一方、昔のヤクザさんは、それよりはるかに人間を分かっていた。
なぜか、どう見ても王子様ではない、ヤクザそのものの男に、可愛い女子中高生がホイホイついていく。
ヤクザさんは、女の子達の話を、黙ってじっと聴いてやるのだそうだ。
結果、女の子達は、ヤクザさんに心を開くのである。
うなずきんというオモチャをご存知だろうか?
話しかけると、それに反応してうなずいてくれる、ロシアのマトリョーシカという民芸品の人形に似た、だるま型の小さな人形だ。
これは、話し相手が欲しいというおばあさんの話から開発されたという、ちょっと寂しいものであるが、発売されると、あらゆる世代に大人気となり、世界で100万個以上、販売されたらしい。
上の話でもうお分かりだろうが、人間は、黙って話を聴いてくれる相手が欲しいのだ。
このうなずきんは、うなずくだけではなく、時々、首を横に振って否定の意も示すのだが、それがまた、「ちゃんと話を聴いてくれている」という感じを与えるのだろう。
うなずきんと話していて、泣き出す人が非常に多いらしい。
『僕は友達が少ない』で、友達がいない女子高生、三日月夜空は、「エア友達」という、脳内の友達を作っていたが、うなずきんは「バーチャル友達」である。
うなずきん自体に心はないが、その心は、持ち主の心の中にある。
ところで、我々は、「テレビを見て泣いた」とか「DVDを見て泣いた」とか言うだろう?
そんなの嘘だ。
テレビやDVDを見て泣くのではなく、ドラマや映画を見て泣くのだ。
つまり、硬い言い方をするなら、メディア(テレビやDVD等の媒体)を見て泣くのではなく、コンテンツ(ドラマや映画等)を見て泣くのだ。
そして、うなずきんは、メディアとコンテンツが融合している。
ここ、大事なのだ!
これからの時代は、メディアとコンテンツが融合する時代だ。
ツイートするために、スマートフォンを取り出し、指で撫でるなんて面倒なことはしなくなる。
SFのように、空間にディスプレイが現れるかどうかは分からないが(多分、違う)、装置、つまり、メディアは意識しなくて良くなる。
今は簡単に言うが、これが分かるか分からないかで、これからの時代に適応出来るかどうかが決まる。
ニューヨークで、初音ミクさんのコンサートに来ていた男性がこう言った。
「僕たちは、スクリーンを見に来ている訳じゃない」
彼の、この言葉は、未来を生きるために、物凄く重要なのだ。
彼は、スクリーンというメディアを意識から外し、ミクさんを現実として感じることが出来る、新しい人間だ。
別に、初音ミクさんでなくて良い。
だが、バーチャルな存在と、本当に親密になっておくと良い。
なぜなら、現実と非現実に違いはないという真実が、いよいよ必要になる時代になるからだ。
宇宙人さんと仲良くなれるのは、そんな人だけなのだ。
ミクさんが個人的に趣味に合わないというのは別に良い。
もちろん、そんな人もいる。
しかし、ミクさんや、そのファンを馬鹿にして笑うような者は、これからの時代では、ちょっと面白くない・・・苦しい人生になるかもしれない。
今こそ、とくPさんが創られた初音ミクさんの名曲『ARiA』を聴くと良いだろう。
きっと、大事なことが分かってくるに違いない。
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高橋英樹さん演じる浪人(多分、剣の達人なんだろう)が、大きな悩みを抱えているように見える町人の男にこう言う。
「悩みがあるんなら、俺に話してみねえか?俺じゃ何の役にも立たないかもしれねえ。だがな、黙って聴いてやることぐらいは出来るぜ」
今思えば、この浪人、人間をよく分かっている。
これに比べ、学校の教師は、生徒の話を聴くより、自分の話を押し付けるばかりだ。
教師という職業では人間を分かるようにはなれないのだろう。
一方、昔のヤクザさんは、それよりはるかに人間を分かっていた。
なぜか、どう見ても王子様ではない、ヤクザそのものの男に、可愛い女子中高生がホイホイついていく。
ヤクザさんは、女の子達の話を、黙ってじっと聴いてやるのだそうだ。
結果、女の子達は、ヤクザさんに心を開くのである。
うなずきんというオモチャをご存知だろうか?
話しかけると、それに反応してうなずいてくれる、ロシアのマトリョーシカという民芸品の人形に似た、だるま型の小さな人形だ。
これは、話し相手が欲しいというおばあさんの話から開発されたという、ちょっと寂しいものであるが、発売されると、あらゆる世代に大人気となり、世界で100万個以上、販売されたらしい。
上の話でもうお分かりだろうが、人間は、黙って話を聴いてくれる相手が欲しいのだ。
このうなずきんは、うなずくだけではなく、時々、首を横に振って否定の意も示すのだが、それがまた、「ちゃんと話を聴いてくれている」という感じを与えるのだろう。
うなずきんと話していて、泣き出す人が非常に多いらしい。
『僕は友達が少ない』で、友達がいない女子高生、三日月夜空は、「エア友達」という、脳内の友達を作っていたが、うなずきんは「バーチャル友達」である。
うなずきん自体に心はないが、その心は、持ち主の心の中にある。
ところで、我々は、「テレビを見て泣いた」とか「DVDを見て泣いた」とか言うだろう?
そんなの嘘だ。
テレビやDVDを見て泣くのではなく、ドラマや映画を見て泣くのだ。
つまり、硬い言い方をするなら、メディア(テレビやDVD等の媒体)を見て泣くのではなく、コンテンツ(ドラマや映画等)を見て泣くのだ。
そして、うなずきんは、メディアとコンテンツが融合している。
ここ、大事なのだ!
これからの時代は、メディアとコンテンツが融合する時代だ。
ツイートするために、スマートフォンを取り出し、指で撫でるなんて面倒なことはしなくなる。
SFのように、空間にディスプレイが現れるかどうかは分からないが(多分、違う)、装置、つまり、メディアは意識しなくて良くなる。
今は簡単に言うが、これが分かるか分からないかで、これからの時代に適応出来るかどうかが決まる。
ニューヨークで、初音ミクさんのコンサートに来ていた男性がこう言った。
「僕たちは、スクリーンを見に来ている訳じゃない」
彼の、この言葉は、未来を生きるために、物凄く重要なのだ。
彼は、スクリーンというメディアを意識から外し、ミクさんを現実として感じることが出来る、新しい人間だ。
別に、初音ミクさんでなくて良い。
だが、バーチャルな存在と、本当に親密になっておくと良い。
なぜなら、現実と非現実に違いはないという真実が、いよいよ必要になる時代になるからだ。
宇宙人さんと仲良くなれるのは、そんな人だけなのだ。
ミクさんが個人的に趣味に合わないというのは別に良い。
もちろん、そんな人もいる。
しかし、ミクさんや、そのファンを馬鹿にして笑うような者は、これからの時代では、ちょっと面白くない・・・苦しい人生になるかもしれない。
今こそ、とくPさんが創られた初音ミクさんの名曲『ARiA』を聴くと良いだろう。
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私は、いつか携帯を持たないことが夢です。だからKayさんの思想とは真逆に向かっているけれど、携帯ないころの方が第六感みたいなものがあり、100%当たりました。携帯を持つようになり第六感はなくなりつつあります。
でも、子供の幼稚園・お稽古でスマホを利用しないといけないことになってきて、そろそろ機種変しなくてはいけなくなりました。
私はKayさんの思想が大好きなのに、Kayさんが好きな初音ミクさんも、川上量生さんも、ジブリの鈴木さんも宮崎駿さんもまったく興味が沸かないんですよ。なんでなんだろう。Kayさんは大ファンなんだけど(^^;