元陸上選手の為末大さんが、「アスリートは才能が全て」のようなことを言って(ツイッターに投稿して)物議を醸したらしいが、実際は誰も反論出来ないだろう。
元プロ野球で最高の投手だった江川卓さんも、「生まれ持ってのセンスがないとプロになれない」とテレビでよく言われていたが、江川さんは、自分の子供を見て、「これはセンスがない。野球選手になることはない」とも言われていたのだ。
そりゃ、それは江川さんの思い違いということもあるかもしれないが、多分、江川さんが言われたのが事実だ。
アメリカの国務長官を務めたコンドリーザ・ライスは、ピアニストを目指していたが、ピアノにおいて、自分が1年かかることを1時間でやってしまえる11歳の天才少年に出会い、彼女自身も相当な実力があったが、あまりの才能の差を感じて、ピアニストを諦めたらしい。
だが、ライスはIQが180とも200ともいう天才で、政治家は本意でやった訳ではなかったらしいが、政界を退いた後は、いよいよ、その素晴らしい頭脳を活かして学者をやっているようだ。
IQと言えば、IQ神話なんて言葉があり、人間の能力はIQで決まらないとかよく言われる。
だが、少なくとも、学校の勉強の出来はIQで厳密に決まるのではないだろうか?
私は、小学5年生の時、IQテストの採点を、阿呆な教師が教室の中の我々生徒に見える場所で行っていたので、私は、クラス全員の生徒達のIQを見ることが出来た。
そして、勉強の出来とIQの高さが全く一致しているのを確認したのである。
最高に勉強が出来る子のIQが150、それに続く子達は130以上、まずまず出来るという子で120位、「がんばってはいるがイマイチ」の子は100から110、勉強の出来ない子は90以下だった。
例外は1つもなかった・・・つまり、「意外」と感じるIQの値の子はいなかったのだ。

こんなこと、名のある人が言えば問題だが、私が事実を言ったってどうってことはないだろう。
私も、IQが高い方ではなかった・・・と、今はしれっと言えるが、当時は落胆したものである。
私も、秀才を目指してがんばった時期というのもあったのだが、やはり、ある程度以上は成績は上がらなかったものだ。
IQが低い子に、良い成績を取るよう厳しくするというのは、その本人にとっては辛いことで、そんなことをしたら、さぞ、精神にダメージを受け、ことによったら、一生に渡って、悪い影響があるかもしれない。
ある一流大学の女子学生は、彼女にとっては楽で儲かるはずの塾講師のバイトをやりたがらない。やったことはあるのだが、いつも、「この子は、どうして、こんなことが分からないのだろう」と、悲しくなるのだそうだ。自分が頭が良いので、頭が悪い子のことが想像出来ないのであるが、彼女は、素直で良い人なのだろう。

どんな分野も才能が全てというのが事実かもしれない・・・いや、おそらくそうなのだろう。
村上春樹さんは、修行時代、毎日、必ず原稿用紙10枚をノルマに書いたというが、才能のない人が同じことをやったって作家になれる訳ではない。
岡本太郎は、「あなたも本日ただいまより芸術家になれる」と言い、芸術に才能は関係がない、あるいは、誰にも芸術の才能はあると言った。
確かに、その通りで、誰にも芸術の才能があるが、その多少は必ずあり、大きな才能がないと、プロの芸術家にはなれない。

そこで、このブログのスターの一人である、まるで駄目男君(30歳過ぎの人生の落伍者)の話になるが、彼がまるで駄目なのは、単に、頭が悪いのであり、それなのに無闇に叱責した私は罪の意識を感じる。
確かに、デール・カーネギー等の本を読ませると、その内容をよく覚えていて、「こいつは頭は悪くない」と思ったのだが、単に、少し覚えていただけだ。
理解はあまりに浅いし、そこから何かを考えることは出来ない。
その程度なら、小学生でも出来る。

そして、「IQは低く、勉強は出来なくても、人は何らかの才能がある」と信じたいのだが、そんなこともないかもしれない。
山下清のように、おそらく、頭は悪い(IQは低い)が、絵は天才という人がいると、我々は希望を感じるが、何のことはない。
単に、山下清は、素晴らしい絵の才能を持って生まれてきたというだけのことだ。
ニュートンは、「私の才能は神からの預かりもの」と言ったらしいが、ほとんど全ての人は、「そんなもの預からなかった」のである。

クラーク博士の「Boys, be ambitious」が、「少年よ、大志を抱け」と訳され、どうもおかしな意味に取られてしまっているのではないか。
仮に、「大志を抱け」の意味で言ったとしても、それは、千人に一人の優秀な子に言ったつもりかもしれない。
あるいは、「頑張りたまえ」を、ちょっと気取って言ったという説もある。
まあ、そのどっちかだろう。

では、我々のように、おそらく、大した才能を何も持たない者は、衣食住が足れば、それで満足と思うしかないのか?
あるいは、せいぜいが、優秀な人を健気に支え、それで満足・・・と言うか、我慢するしかないのか?
天才ゴッホの経済面を全面的に支えた弟テオのようにね。
それらも確かに、1つの立派な生き方であり、誠実にやれば、良い人生になるだろう。
だが、愚かな自我を持つ人間は、なかなか、それでは満足出来ない。
だから、悪魔に魂を売る者も出て来る。
しかし、それは、最終的に、最悪となり、最大の不満を抱えて無限の時を過ごすハメになるかもしれない。
そこで、ヒントを1つ述べたい。
人間として、大きな才能に恵まれているとか、天才、頭が良いと言ったところで、至高の存在から見れば、ほとんど、あるいは、全く差はないのである。
もっと分かり易く言うなら、超秀才といったところで、お釈迦様と比べれば猿知恵の持ち主に過ぎないのである。









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