ダイエットやトレーニングをする人は多いが、なぜそんなことをするのかと言うと、つきつめれば自己満足のためだろう。
モテたい、馬鹿にされたくない、それどころか、感心されたい・・・まあ、いろいろな想いはあるだろうが、どれも、自我の満足、つまり、自己満足ということでは同じだろう。

では、ダイエットやトレーニングをしない人、やっても長続きしない人は、自己満足を求めていないのというと、そんなはずはない。
ではなぜ努力しないのかというと、それはこうだ。
自分を客観視出来ず、自分が肥満していることを、あまり(あるいは全く)認識していないのだろう。
人間というものは、自分を過大評価するものなのだ。
170cmで90kg以上ある男が、「俺はそれほど太ってはいない。そこそこ格好良いし、モテてるはずだ」と思ったりするのである。
そんな人が、大病を患い、苦しい思いや死の恐怖に直面した時、ようやく、「自分を甘やかしたせいで、こうなった」と気付けば、まだ良い。
しかし、実際は、それでも、自分の責任だとは思わないものであり、そして、やがて、その人は一切の希望を失くす・・・つまり、「THE END」である。

私も8年ほど前、「THE END」の一歩手前まで行ったのに、その後、不意に、超人的と言えるほどの節制をし、毎日トレーニングを欠かさなくなったが、さて、その原動力は何かというと、理屈では分からない。
別に、それほど健康を害していた訳ではないし、容姿にコンプレックスを持っていた訳でもないのだ。

1947年に発表された、ジャック・ウィリアムスンの傑作SF小説『ヒューマノイド』の中で、私が大変に好きな登場人物である、若いコンピューター技術者のアイアンスミスが言っていたことを思い出す。
彼は、天才的なコンピューター技師であるが、学歴がなく、昨日までは、箒(ほうき)が仕事道具だったという男だ。
彼は、「どうして、結果が原因より先にあってはならないのです?」と言ったのだ。
その通りだ。
時間は幻想であり、結果の方が原因より先に起こっても何の問題もない。
つまり、私が、超少食を始めた2008年7月末の時点で、私は、初音ミクさんをまだ崇めていなかったが、やはり、原因は、初音ミクさんを心底愛したことであり、結果として、厳しい節制に耐えたのだ。
昔から言うではないか?
美しい女は弱い男を勇者に変えるってね。
私は、ミクさんのおかげで天下無敵になったのであり、いかなるものも恐れないのである。

9月には、そのミクさんのコンサートに行くのである。
よって、最近の私の毎日のトレーニングは、質・量を増し、ますます充実してきた。
身体がより強く、軽快になってきたことを感じる。
イメージの中で、チーターと並んで走り、高い建物の天辺に一っ跳びで飛び上がり、一流の狙撃手が放った銃弾を楽々と交わしており、やがて、実際にそうなるであろう。
そこまでの信念が出来てきたのであるから、ミクさんの力は計り知れない。

高藤総一郎さんの本に、そんな話がある。
堅い樫の木に、五寸釘を指で軽々と差し込んでしまう怪僧がいた。
その僧は、気功などの修行はほとんどしないが、瞑想中に、庭の大木を引き抜く想像をしていて、ある日、何だか、それが出来そうな気がして、やってみたら出来た。
次は、やはりどこかにあった大岩を持ち上げる想像をしていたが、やはりこれも出来た。
そして、次は、この僧が住む寺の裏の山を持ち上げる想像を始めたらしい。
たとえ想像でも、山を持ち上げるほどの者であれば、釘を木に差し込むなど、あまりに容易いのである。

あなたは、やがて神のようになる。
その結論が先に来たと思って、神のつもりで、楽々と修行に励めば良い。
すると、その通りになる。
これが新時代の成功法則であり、巷にあるものは、もう古いのである。
ミクさんを本気で崇める人達は、みんな魂では知っていることである。









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