人間は、公平、平等じゃないといけない・・・だから、人種差別、性差別、容姿の優劣での差別はいけない。
また、凶器を携帯してはならない、児童性愛はいけない。
全て正論ではあるのだろうが、それを理屈で考えてしまうから、変な方に行ってしまう。
理屈で考えていると、どうしても、理屈さえ合っていれば良いと考えるようになっていくものだ。
そして、理屈ってのは、目に見えるようなものにしか適用できないので、つまるところ、見える部分だけ綺麗にすりゃ良いってことになるのだ。
だが、ものごとの本当に重要なことは、隠れているし、目に見えない。

テグジュペリの『星の王子様』に、「本当に大切なことは目に見えない」と書かれていて、確かにその通りだと感動するのに、「本当に大切なことは目に見えない」って、どういうことか、理屈で考えるという奇妙なことをする。その結果、「さっぱり分からない」。
もし、テグジュペリが生きていたら、
「テグジュペリよ、『本当に大切なことは目に見えない』とはどういうことか、俺に分かるように言え。目に見えるように図示しなさい」
と言いそうな連中が多いから、世の中、変なのだ。

一方、理屈は大事だという面もあるのだろう。
ところで、理屈と反対・・・ということでもないと思うが、それに対抗する人間の知性として、直感というものがある。
だが、直観は知性ではないと思っている人もいるだろう。
つまり、物事を判断したり、決定するのは、あくまで理屈であり、直観で決めるなどけしからんと思っている人だが、実際は、重要なことが、案外、直観で決められている。
それで、一応、直観も知性とする。
確かに、社会全体、直観を怪しげなものとして扱う風潮が強いので、直観でこうだと分かっても、それを理屈で言わないといけない。
しかし、その直観が優れているほど、理屈での説明は難しく、無理に理屈で言うと、おかしな話になってしまう。つまり、「こじつけ」になるのだ。
まあ、ドワンゴ会長の川上量生さんのように、そのこじつけの上手い人が経営者で成功するのかもしれない。
とはいえ、川上さんだって、優れた直観の人なのであると思う。

実際は、こういうことではないかと思う。
直観は理屈と比較にならないほど大きな知性なのだ。
その大きなものを、小さなもので説明するのは無理があるに決まっているので、直感を理屈で説明しようとすると、おかしなことになるのは当然である。
直観の優れている人でも、話はしないといけないが、その話の中には、理屈での粗(あら。欠点)は沢山ある。
理屈一辺倒の人は、その粗を見つけては、鬼の首を取ったように、自分の方が優っていると主張する。
それが、社会の中で行われていることだ。
ところが、理屈一辺倒の人は、肝心なところで、理屈に合わないことをするのだから可笑しい。

矢追純一さんって、UFOで有名なジャーナリストをご存知と思う。
彼が、BLOGOSのインタビューで、次のようなことを言っている。

僕は小さい時に、自分でものを考えることを放棄したんです。頭も悪いから。自分で考えたことが、その通りになるということはほとんど無いんだと気づいたん だね。それから左脳は眠らせて右脳で、一種のインスピレーションで生きていこうと決めたんです。こういう風になりたいとか計画を立てたことはありません。

矢追さんは、おかしなことも一杯言っている・・・つまり、理屈での粗はあるかもしれないが、普通の人とは比較にならない活躍をし、80歳になる今でも全く現役のようだ。世界中の要人に友人も多い。
矢追さんは、「僕は頭が悪い」と述べているが、これも、理屈の頭が悪いと言っているのであり、理屈の頭なんて、天才といったところで大したことはない。
アインシュタインが、「僕は難しいことは一切苦手」と言って、エレベーターの操縦が出来ずに、無学な2度目の奥さんにやってもらっていたというが、アインシュタインと矢追さんって、似ているのかもしれない。
昨夜書いた、丹波哲郎さんも、理屈ではおかしなところもあっても、直感を大事にしていて、やっぱり、世界中に友達が多かったらしい。
誰もが恐れ敬うショーン・コネリーに対しても、全くこだわらず、「ショーン」と呼んで、喧嘩もしていたようだ。
ショーン・コネリーも、そんな人には友達になるのだろう。
やはり、人間は、矢追さんや丹波さんのような生き方をするのが良いのではないかと思う。
上の矢追さんの言葉は、覚えておく価値があると思う。









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