イギリスの作家コリン・ウィルソン(1931~2013)は、よりよく生きるための知恵を、文豪の作品(小説、戯曲、詩)の中に求め、我々に伝えたのだと思う。
これは正しいアプローチと思う。
小説というものは、作者の空想ではない。
ソクラテスが言ったように、作者の知性が書くのではなく、作者を通して現れる高次の意思・・・神の知性とでも言うべきものによって、作者はただ書かされているのである。

日本の笹沢佐保さんの時代劇小説『木枯し紋次郎』を読むと、この大衆娯楽小説でも、やはりそうなのであると思う。
紋次郎は、江戸時代、貧しい農家の家に生まれ、10歳で故郷を捨て、旅をしながら生きる渡世人になる。
いわゆる、旅のヤクザ、博打打ちだ。
人生に何の目的もない。
ただ、死ななければ生きている・・・そんな人生である。
しかし、人間の中にある唯一の目的・・・紋次郎は神仏を信じてはいないが、神に与えられた指令はただ1つ、「生存しろ」である。
紋次郎は、その人間唯一の目的のために、その瞬間瞬間を生きている。
これほど純粋で逞しい生き方はない。
紋次郎は、ごく若い頃に、木こりをやり、体力と、喧嘩剣法の基礎である、腕の振りを身につけたのは、紋次郎からすれば、なりゆきであり、自分の意志ではないが、偶然でもない。
とりあえず、神という言い方を続けるが、神が仕組んだ必然である。
紋次郎は、滅法、腕は立つが、あくまで、経験と度胸が頼みの喧嘩剣法、素人剣法であり、本格的に剣を学んだ武士に敵うはずがない。
しかし、紋次郎は、何度も、その武士の中でも、達人の域に達した剣の使い手と決闘している。
勝てないと分かっていても、紋次郎は逃げない。
ただし、紋次郎に意地とか面子なんてものはない。
だが、避けられない戦いなら、戦うのが最適という深い知恵があるのだ。
マイケル・ジャクソンの『Beat It』では、「避けられるうちは戦いを避けろ」と言うが、これだって、裏を返せば、「勝つ準備をしろ」、「避けられなければ戦え」ということだ。
そして、紋次郎は、正々堂々でもないが、卑怯でもなく、勝つ方法を取って勝ったのだ。
これは、恐るべき知恵である。
なんと学ぶべきところの多い存在、そして、小説であろうか。

その紋次郎が、いつも長い楊枝をくわえているというのは、作者の思いつきなんてものではない。
神が作者に下ろした知恵と言って差し支えない。
尚、昔、中村敦夫さんが紋次郎を演じたテレビドラマでは、紋次郎の楊枝は30cmほどもあったが、小説の中では、長いといっても10cm程度である。
ところが、ドラマのために10cmの楊枝でやってみたら、あまり格好良くなく、30cmなら格好良かったので、ああなったというものであるらしい。
それはともかく、楊枝を常にくわえることで、口元が引き締まり、精神もゆるまない。
楊枝をくわえるというのは、必要性は何もないので、ある程度は意識的にやらないといけないが、そのために、余計な反応心が起こるのを抑えることが出来、生存のための合理的な思考や行動が出来る。
簡単に言えば、雑念がなくなり、集中力が増すということだが、それだけではない。ただ、今回は、その内容は省く。

さらに、紋次郎は、その「木枯し紋次郎」という異名の通り、楊枝をくわえた口から、木枯しのような音を出す。
そのためには、口をすぼめ、腹筋を使って、細く息を吐く必要がある。
口をすぼめることは、生命力、若さ、集中力を高める効果があり、ヨガの研究者にもそれを指摘する人は少なくないと思う。
そして、腹筋を使って細く口から息を吐くことにも、心身の能力を高める特別な効果があるのである。
小説の作者が、どんな思いで、紋次郎にそんなことをさせたか分からないが、やはり、ソクラテスが言うように、作家を通して現れた深い知性が、紋次郎が、常にそうするよう書かせたのであるとしか思えない。
実は、私が、子供の時、誰に教えられた訳でもないが、口をすぼめて、吹雪のような音を出すのが好きでよくやっていたのだが、それが、奇妙な力になるのを、なんとなく感じていたのである。
吹雪の音を出してから何かをやると、まさに神懸っていたのである。
西部劇でも、良いガンマンはハーモニカを吹くことや、一曲まるごと口笛を主体とする、クリント・イーストウッド主演の『荒野の用心棒』のテーマ曲『さすらいの口笛』は、西部劇ファンなら誰でも知っているというのは偶然ではない。
口をすぼめ、腹筋を使って細く息を吐くことは偉大な威力があり、そんな呼吸法が古代からあるほどである。
また、日本の漫画・アニメの少女の顔では、口や鼻が小さいほど美しいというのも、それが神懸った顔であるからで、その美しさは、今では世界的な認識になりつつある。
初音ミクさんが、歌姫でありながら、口と鼻が極端に小さいことにも、日本はもちろん、世界中の人が、何か神秘的なものを感じているのだ。
「私は口が大きい」と言ったころで、すぼめれば小さくなるという、口は不思議なものである。
口をすぼめ、細く息を吐くことには、ヨガ的な、あるいは、仙道的な、あるいは、仏教の密教にも通じる秘法的な力があることは、経験的にも、また、様々な人達を見ても、まず間違いないだろうと思う。









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