1996年のSF映画『インデペンデンス・デイ』の続編が、今年(2016年)夏に公開されるらしい。
『インデペンデンス・デイ』は、しれっと(何事もないように)変な思想を埋め込んだ映画だったという想いもあるのだが、それよりも、私は1つのシーンをよく覚えている。
宇宙人の攻撃の中で大統領夫人が危機に陥いるが、小さな男の子を連れた黒人の若い母親に救われる。
ファースト・レディという目も眩む立場の女性でありながら、高慢ちきではなく、まあ、いい人で、年齢は全然違うが、ヒラリー・クリントンよりはキャロライン・ケネディに近いイメージだ(キャロラインは『マジカルミライ2015』に来たのだから素晴らしい人だ・・・なんてね)。
助けた方の若い母親も、恩に着せる気もない、さっぱりした人で、大統領夫人も好意を感じている様子で、若い母親に親しげに話しかける。
「お仕事は?」
「ダンサーよ」
大統領夫人が目を輝かせて、「まあ、クラシックとか・・・?」と尋ねると、若い母親は苦笑しながら、
「裸で踊るの」
と言う。
彼女はストリッパーだった。
それに気付く位の世間常識がある大統領夫人は複雑な表情で言葉をつまらせる。
その大統領夫人に気を使ったということもあると思うが、若い母親は、
「恥じてはいないわ。あの子を育てられるんだから」
と明るく言う。
いや、恥じてないはずはない。
少なくとも、惨めな部分は小さくない・・・・と私は思った。映画的には、表立っては何も表現していないが。
そう思い、あのシーンを涙なくして見れない私は、相当惨めなやつかもしれない。

だが、その若い母親は、機転は効くし、運も良いので生き延びたと感じた。
戦闘機パイロットのスティーブンと天才エンジニアのデイヴィッドもそうだ。
どこか運が良いのだ。
『インデペンデンス・デイ』のように、地球人よりはるかに進歩した宇宙人が攻めてきて、地球人類は実力では手も足も出ないというお話はよくある。
この映画も参考にしていると思われる古いSFで、その作品自体も数多く映画化されている、H.G.ウェルズの『宇宙戦争』もそうだ。
それよりも、実力差をもっと露骨に表していたのが、『バトルフィールド・アース』だ。
(『バトルフィールド・アース』は、ジョン・トラボルタやトム・クルーズが熱心に信仰する宗教であるサイエントロジーの教祖、L.ロン.ハバートの手によるSF小説の映画化で、主演・制作はトラボルタである)
サイクロ星人の侵略に対し、30世紀の進歩した人類の軍隊すら9分しかもたずに地球文明は滅ぼされ、人類は旧石器時代に逆戻りする。
だが、その旧石器時代化した人間が、知恵と勇気でサイクロ星人から地球を取り戻そうとするのである。
そもそも、それほど進歩した知的生命体が侵略などするだろうかいう疑問はある。
資源が尽きたから資源豊富な地球を狙ったとか、あるいは、1970年頃のイギリスのSFテレビドラマ『謎の円盤UFO(原題:UFO)』のように、宇宙人には特に侵略という意思はなく、移住したい惑星に、ちょっと厄介な生物(人類のこと)がいたので排除しようとしているのだろうということかもしれないが、それもどうかと思う。
だが、たとえ、数千年後の地球人より進歩した科学力を持った宇宙人が攻めて来ても、勝負を決するのは運なのだ。

ところで、『宇宙戦争』では、人々が教会で祈っている間に、火星人は地球のウイルスに侵されて滅んだが、それなら、最初から必死に神に祈れば良いのかというと、そうではない。
古い『宇宙戦争』の映画では、「万策尽きた時、神が助けた」と、まるで、スマイルズの『自助論』にある「天は自らを助ける者を助ける」の思想のようでもあるが、それも違う。
そうではなく、「万策尽きる」まで、地球人は、神が救うに値する精神性を持っていなかったのだ。
どんな意味か、理屈で語るのは難しいが、いかなる戦いも、科学力や勝利の欲望の強さではなく、精神性が高い方が勝つのだ。
「いかなる戦い」でもそうで、我々が日常遭遇するような戦いでも同じである。

楳図かずおさんの古い漫画『おろち』で、数百年の時を少女の姿で生きる不思議な存在である「おろち(その少女の名)」は、一種の仙女のようなものかもしれないが、一度、宇宙人らしき相手と戦っている。
そのお話の壮大さは、ウェルズの『宇宙戦争』の比ではなく、楳図さんの天才振りを再認識するが、超能力を備えているとはいえ、おろちが勝利するのも、精神性の差だったように思う。
もちろん、戦いは、祈っただけでは勝てず、物質レベルの行動が必要であるが、最後は運の良い方が勝つ。
ちょっとおかしいかもしれないが、それが真実である。
で、どんな者が運が良いのかといいうと、これも説明が難しいが、言ってみれば、「神に近い」者であり、そこに行くには、常にゆるまないことしかない。
人間は、怠り勝ちで、すぐに、絶対的な休息をしようとする。
だが、その誘惑に勝つために、自分に掟を課し、それを死んでも守ることで、片時もゆるまない者が、結局のところ、運に恵まれ、勝つのである。
常に心身を引き締め、ゆるまなければ、何も心配することはないだろうことは間違いないと思う。

震災時に悪事を為す者は、徹底的にゆるんでおり、その後を見れば分かることであるが、恐ろしく運が悪い。
つまり、ゆるんでいる者というのは、内なる高貴な存在に気付かない者なのだ。
ロオマン・ギャリィの『自由の大地』のように、まずは清らかな存在が側らにいると意識することで、ゆるまず、引き締まるのも良いと思う。
『自由の大地』で、フランス兵達が空想したのは少女だった。少女とは本来貴く、少女達は、天使の代理人ですらある自覚は持って良く、我々もそう扱えば、人類はゆるまないだろう。









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