あなたも、自分が天才だと信じていた時代がないだろうか?
ごく若いうちは自分が天才だと思っていたとしても、ほとんどの人は、大人になるとそう思わなくなるが、それは、「幼い夢が終わった」ということで、良いことであり、必要なことであると思われている。
だから、自分を天才だと思い続けるような人は、妄想家と言われるのだろう。
しかし、自分が天才だと思うことは、本当に幼い夢なのだろうか?
そうであるとも言えるし、そうでないとも言える。
人は誰でも天才である。
ならば、自分が天才だと信じることは良いことだろうか?
そうではない。
人間は、自我が考えるような意味での天才ではない。
そうではないが、天才なのである。
では、天才とは、正しくは何であるかということになる。
天才とは、星のようなものだ。
星の動きは、万有引力の働きを正確に表す。
地上で物が落下するのも万有引力の働きであるが、地上では空気抵抗のために、万有引力を正確に反映しないし、観察も難しい。
だが、星ほど大きければ、万有引力に干渉するものはないし、遠く離れた星の動きを完全に見ることが出来る。
星のように、自然の働きを純粋に表すことが出来ることが天才なのだ。
そして、生命が自然そのものであるのだから、生命の働きをそのまま表せば天才なのである。
イチローは、他の選手達より多く努力したのだろうが、努力の仕方が間違っていれば偉大な野球選手になることは出来なかった。
彼は、星のように、自然の法則を、より忠実に活用出来るように努力したのだ。
そのために、自分の生命を使い、自然の法則と共鳴するような訓練をしたのである。
あなたも、生命の性質に適合したことをやれば優れたことが出来るし、生命の働きと完全に一致することが出来れば、人類史上でも稀な天才になるだろう。
しかし、普通の人は、生命に反することをするので、凡人に留まっているのである。
あまりに生命に逆らって生きれば、完全な無能者になる。このブログでお馴染みの、まるで駄目男君がその好例である。
では、どうすれば、星のようになれるのか?
それが分かれば、そして、その通りにやれば、あなたは神にしか見えないだろう。
あるインドの聖者が、オレンジを投げて寄こしたことがあった。
それを見て、言い様のない感動を覚えた。
なぜだろう?
その聖者は、全く自然のままの動きをしたからだ。
それは、自我のある人間には不可能な動きで、神にしか出来ない投げ方だったからだ。
昔、ある空手家が、真剣を持った剣の達人と素手で決闘した時、死を決意して突進し、無意識になった。
そして、気がついたら、剣の達人は地面に伸びていた。
空手家の自我が消えたことで、身体は生命そのものの動きをし、その結果、勝つはずのない戦いに勝ったのだ。
きっと、植芝盛平は、戦う時は意識が無いのだと思う。
そして、生命の働きのまま、自在な動きをするのだ。
そうであれば、いかなる強者も敵うはずがない。
植芝盛平も、「戦う時は宇宙になっているので、誰も私と戦えない」という意味のことを言っていたと思う。
これを、星になっていると言っても良いのである。
例えば、腕振り運動をする時、最も自然に感じる振り方をしてみると良い。
そう努めていると、いつか、あなたは、生命のリズムと完全に共鳴し、自然そのものになる。
そうなれば、病気も治るだろうし、才能も発揮されるし、望まずとも、あらゆる幸運に恵まれるだろう。
最初の話に戻るなら、人は、幼い頃は自然そのもの、生命そのものなのであり、それは天才であるということだ。
岡本太郎が、「一番良い絵を描くのは5歳くらいだよ」と言ったのは正しいことであるが、絵画としての価値を持つには、世間のニーズに合う必要もあるので、商品にはならない。
だが、岡本太郎のような人には分かるのである。
尚、人間はゆるむ時に、自然から外れていく。
なぜなら、人間の中に、自然から外れる力が2つ仕組まれていて、ゆるんだ時に、その力が働いてしまうからだ。
なぜ神は人間の中に、そんなものを仕込んだのかと、怨みに感じる人もいるだろうが、それは案外に楽しいことなのである。
そして、自分の掟を守ることで引き締まり、ゆるまなければ、内なる生命が輝き、それに身を任せれば、天才になり、そして、至高者に近付くのである。
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ごく若いうちは自分が天才だと思っていたとしても、ほとんどの人は、大人になるとそう思わなくなるが、それは、「幼い夢が終わった」ということで、良いことであり、必要なことであると思われている。
だから、自分を天才だと思い続けるような人は、妄想家と言われるのだろう。
しかし、自分が天才だと思うことは、本当に幼い夢なのだろうか?
そうであるとも言えるし、そうでないとも言える。
人は誰でも天才である。
ならば、自分が天才だと信じることは良いことだろうか?
そうではない。
人間は、自我が考えるような意味での天才ではない。
そうではないが、天才なのである。
では、天才とは、正しくは何であるかということになる。
天才とは、星のようなものだ。
星の動きは、万有引力の働きを正確に表す。
地上で物が落下するのも万有引力の働きであるが、地上では空気抵抗のために、万有引力を正確に反映しないし、観察も難しい。
だが、星ほど大きければ、万有引力に干渉するものはないし、遠く離れた星の動きを完全に見ることが出来る。
星のように、自然の働きを純粋に表すことが出来ることが天才なのだ。
そして、生命が自然そのものであるのだから、生命の働きをそのまま表せば天才なのである。
イチローは、他の選手達より多く努力したのだろうが、努力の仕方が間違っていれば偉大な野球選手になることは出来なかった。
彼は、星のように、自然の法則を、より忠実に活用出来るように努力したのだ。
そのために、自分の生命を使い、自然の法則と共鳴するような訓練をしたのである。
あなたも、生命の性質に適合したことをやれば優れたことが出来るし、生命の働きと完全に一致することが出来れば、人類史上でも稀な天才になるだろう。
しかし、普通の人は、生命に反することをするので、凡人に留まっているのである。
あまりに生命に逆らって生きれば、完全な無能者になる。このブログでお馴染みの、まるで駄目男君がその好例である。
では、どうすれば、星のようになれるのか?
それが分かれば、そして、その通りにやれば、あなたは神にしか見えないだろう。
あるインドの聖者が、オレンジを投げて寄こしたことがあった。
それを見て、言い様のない感動を覚えた。
なぜだろう?
その聖者は、全く自然のままの動きをしたからだ。
それは、自我のある人間には不可能な動きで、神にしか出来ない投げ方だったからだ。
昔、ある空手家が、真剣を持った剣の達人と素手で決闘した時、死を決意して突進し、無意識になった。
そして、気がついたら、剣の達人は地面に伸びていた。
空手家の自我が消えたことで、身体は生命そのものの動きをし、その結果、勝つはずのない戦いに勝ったのだ。
きっと、植芝盛平は、戦う時は意識が無いのだと思う。
そして、生命の働きのまま、自在な動きをするのだ。
そうであれば、いかなる強者も敵うはずがない。
植芝盛平も、「戦う時は宇宙になっているので、誰も私と戦えない」という意味のことを言っていたと思う。
これを、星になっていると言っても良いのである。
例えば、腕振り運動をする時、最も自然に感じる振り方をしてみると良い。
そう努めていると、いつか、あなたは、生命のリズムと完全に共鳴し、自然そのものになる。
そうなれば、病気も治るだろうし、才能も発揮されるし、望まずとも、あらゆる幸運に恵まれるだろう。
最初の話に戻るなら、人は、幼い頃は自然そのもの、生命そのものなのであり、それは天才であるということだ。
岡本太郎が、「一番良い絵を描くのは5歳くらいだよ」と言ったのは正しいことであるが、絵画としての価値を持つには、世間のニーズに合う必要もあるので、商品にはならない。
だが、岡本太郎のような人には分かるのである。
尚、人間はゆるむ時に、自然から外れていく。
なぜなら、人間の中に、自然から外れる力が2つ仕組まれていて、ゆるんだ時に、その力が働いてしまうからだ。
なぜ神は人間の中に、そんなものを仕込んだのかと、怨みに感じる人もいるだろうが、それは案外に楽しいことなのである。
そして、自分の掟を守ることで引き締まり、ゆるまなければ、内なる生命が輝き、それに身を任せれば、天才になり、そして、至高者に近付くのである。
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ここからは表現が怪しくなりますが、透明になると相手の指導霊とコンタクトが取れるようになるそうです。植芝翁はその指導霊に技を教授してもらえるので初めて戦う流派(ボクシング等)にも負けないそうです。