自分の性格を治したいとか、性格の欠点を消したいと思っている人は多い。
それは、自分の性格の欠点を自覚しているということだから、良いことではあるのだけれど、そういった願いは達成されない。
年を取れば性格の悪さが改善されるかというと、そんな気もするが、実際は、ますます悪くなるのである。

性格というものは、魂に組み込まれたシステムであり、しかも、消去不能、改変不能な機能モジュールだ。
とても残念なことである。
だが、卑屈で卑怯者の性格の者は、慎重で老獪な戦略家になれる。
八方美人や浮気性の者は、公平な博愛家になれる。
「火は使い方次第」だが、性格も使い方次第である。

では、どうやれば、性格の欠点が美点や武器になるのかというと、やはり、根本的には「ゆるまない」ことであるが、「ゆるまない」というのは、「制約」を課すことである。
例を上げて説明する。
俳句や和歌は、文字数が決められているが、普通に考えたら、「文字数なんか決めないで、自由に言葉を入れた方が良い表現が出来る」と思うかもしれない。
しかし、実際は、文字に制約があるから、優れた表現が出来るのだ。
中国にも絶句(五言絶句、七言絶句)という、文字数以外にも厳格なルールが決められた詩があるが、とんでもない名詩が多い。
イタリア最大の文学であるダンテの『神曲』は、序歌1、地獄編33歌、煉獄編33歌、天国編33歌の、合計100歌の詩で、それぞれの詩が3行で一連・・・その他にも細かい厳格な決まりがある、恐ろしいまでにマニアックな叙事詩なのである。
これほどの制約がなければ、いかにダンテが書いても、それほどの名作にはならなかったと思う。
音楽の作詞作曲でも、先に曲がある方が詩が良くなり、先に詩がある方が曲が良くなるものらしい。
素晴らしい曲があって、その曲に対し、発表する気もない適当な詩をつけたら、その詩の方が高い評価をされたなんてこともよくある。
友達のオーディションについていった子が合格するなんてのも同じ原理で、そういう「気合が入ってない」子は、適当にやる分、やれること、やることに制約が多いのが、かえって良い結果になるのである。

毎朝、必ず聖書を読むという掟を持つと、朝の時間の自由を制約することになる。
掟とは、制約のことであることが分かると思う。
恋愛禁止なんてのはナンセンスで、こんなのは掟でも何でもない。
恋愛禁止にすると、隠れて歪んだ恋愛をするのは当たり前である。
不良や変なおじさんと不純な異性交遊をするのは、恋愛禁止にされた女学生と相場が決まっており、そんな子をわざと狙う男は多い。
しかし、厳しい恋愛ルールなら掟になり、そんな掟を守れば、好ましい恋愛になるのである。
禁煙は、タバコの害と周囲の迷惑を解消出来るが、それよりも、吸う本数や場面(食後だけ等)、場所を厳しく制約すれば、自分を鍛えるのに効果的である。
酒も同様だ。
しかし、世の中では、禁酒か、飲み過ぎかに分かれてしまっている。
人間は、掟、制約、ルールを守るのが嫌いなのである。
だが、自分が作った掟に厳格に従うことで、ゆるまず、引き締まる。
そして、それでもたらされる恩恵は計り知れない。
自分に課した制約の数倍の力を、神は人に与えるのである。
最初の話に戻ると、性格の欠点ですら、美点や武器になってしまう。
だから、是非、自分だけの掟を自分で作り、死んでも守りなさい。
尚、他人が作った掟、制約、ルールに、そんな力は無いばかりか、有害な場合が多い。
だから、それ(他人が決めたルール)が常識的なものなら守れば良いが、馬鹿馬鹿しいルールのある場所からは逃げることだ。

清原和博さんは、掟を決めずに遊んだから崩れてしまったのだ。
彼はエネルギーの大きな人間なので、遊びが豪快になるのは当然で、悪いことではない。
しかし、自分の掟がなく、全て自由にやってゆるんでしまった結果があれなのだ。
彼には、自己制約の重要さを誰かが教えてあげるべきだった。
自分の掟を厳格に守れるようになるまで成功しない者は幸いである。
至高者への上昇の方法は1つで、それはゆるまないことであるが、その具体的方法は、自分の掟を持ち、厳格に守ることである。

重要なので繰り返すが、自分に課した制約の数倍の力を、神は人に与えるのである。









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