原子力発電だとか火力発電、水力発電、それに、風力発電などがあり、自動車を動かすにも、ガソリン、ディーゼル、電気があるので、エネルギーには違った多くのものがあると思ってしまうが、エネルギーというものは根本的には1つで、ジュールという単位で表す。
こういったことは地球人類にも分かったが、あくまで、物質的エネルギーについて分かっただけで、精神的エネルギーに関しては、エネルギーと言いつつ、それはあくまで概念だと理解されていて、実質は存在していないと考えられている。
だから、精神分析学や心理学でいうエスという精神エネルギー(無意識の中にあるとされる)は、物質科学では存在しないものなので、精神分析学とか心理学というものは、科学と認められていない。
一般に言う科学的な考え方、あるいは、科学的な考え方をする人から見れば、心理学や精神分析学は、怪しいだけのものなのである。

しかし、今でも分かり始めているのだと思うが、やがては、人類は、物質エネルギーも精神エネルギーも、同じ1つのエネルギーであることが分かるようになる。
そうすれば、私が最近、ずーっと言っている、ゆるまなければ、万事OKだということが、単純な理屈で、あまりに当たり前のことだと分かる。

2013年12月に亡くなった英国の作家コリン・ウィルソンの生涯のテーマとは、ごく単純に言えば、疲れ切った男が、好みのタイプの女性が全裸でやってきたらなぜ元気になるのかだった(あくまで喩えである)。
この現象を、医学的、物質科学的に説明出来ると思っている人がいるかもしれないが、ある程度までしか説明出来ないのだ。
心理学に、リビドーという、フロイトが性的衝動のことをそう言い、後に、ユングが本能的衝動全般のことをそうだとしたものがある。
衝動とは精神エネルギーのことだと言って良いだろう。
しかし、いずれにしても、この実に怪しげなリビドーという言葉で説明しなければならないので、精神エネルギーは、全く科学的とは見なされないのである。
つまり、現代科学的に正直に言えば、クタクタに疲れているのに、好きな女の子がヌードで寄ってきたら元気になるのは、不思議、神秘でしかないということになる。
「そんなアホな」であるが、偉い人達は、普通に考えれば当たり前のことも、既存の体系(理論体系)に押し込めて考えることしか出来ないので、素直な子供から見れば笑い話にしかならないことを一生懸命やっているのだ。それが完全に無意味という訳ではないが、限度をわきまえねば、やっぱり笑い話でしかない。

ゆるまなければ、心が引き締まれば、全てうまくいくことは、心理学を科学だとちょっと認めれば単純に分かることだが、それにはまず、心理学の怪しい概念や用語から改める必要がある・・・だろうなとは思う。
しかし、大切なことは、理屈より実践だ。
つまり、幸福になれるはずの理屈ではなく、単純で効果的な方法が分かれば良いのである。
それが、「一瞬もゆるまない」ことであるが、今や世間では、「ゆるめ、ゆるめ」の大合唱である。
世間の教義や信念では、「ゆるむことが幸福であり、人間はゆるむために生きる」のである。
この完全な大嘘が、世間の教義、信念である。
重ねて言うが、大嘘である。
あなたは、決して、決して、世間の教義や信念に平伏(ひれふ)してはならない。
そんなことをすれば、そして、現実に人々はそんなことをしているから、希望も生き甲斐も喜びも失うのである。

上に挙げたコリン・ウィルソンの一生のテーマも、「ゆるまない」ことで単純に説明出来る。
ゆるまなければ、身体の物質的エネルギーと共に精神エネルギーが高まる。
物質的エネルギーには限度があるが、精神エネルギーは無限である。
精神エネルギーは、脳を媒介して物質エネルギーに変換されるので、精神エネルギーを活性化させれば、元気にもなるし、病気も治る。
生命エネルギーというものは、物質エネルギーと精神エネルギーの両方を言う。そして、この2つは根本的には同じである。
無意識領域には無限の精神エネルギーがあり、これを心理学でエスとかリビドーと言っているが、これを引き出せば、肉体はもちろん、物質世界全てを支配出来る。
脳はその媒介をしているのであり、ゆるまなければ、脳はその役割をよくやってくれるのである。
それが分かれば、幸福になったり、希望や生き甲斐を持つことは簡単なことであることも分かる。

ゆるまないことの理屈は、この程度にしておく。
さっきも言ったが、理屈が大切なのではなく、実践が大切なのである。
しかし、少しは理屈も書いておこうと思ったので、今回だけ書いてみたのである。
心理学、精神分析学、物理学の概論を学べば参考になるとは思うが、これらの学問は、あくまで、それぞれの1つの体系の中に押し込められたものなので、深入りすると余計分からなくなる・・・というか、真理から離れていく。
何でもかでも体験だけが真理とは言わないが、体験で分かることは体験で理解すれば良い。
例えば、砂糖がなぜ甘いかは科学で説明出来るが、単に舐めてみれば、子供でも無学な者でも分かることである。
変な理論科学マニアは、砂糖を舐めることはしないで、理屈で砂糖の甘さを論じているだけなので変なのである。

これまでも、ゆるまない方法を、様々な方面、分野から述べたが、そのいずれかが読者の琴線に触れればと願ってのことであり、今後もまた、色々・・・同じことを別の面から見たり、別の分野を探ったりしていこうと思う。
しかし、大切なのはあくまで実践であり、ゆるまないことは難しいことではない。ただ、意思の力を必要とするだけである。
いずれにしても、希望と生き甲斐を持ち、生命力を活性化させ楽しく生きたければ、一瞬もゆるんではならない。
それを先にやった者から幸福になるのである。









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